日本では、瀬戸焼、九谷焼、有田焼など各地で風土を活かした焼き物、陶器が昔から作られてきました。

益子町も全国的に名の知れた陶器の町で、益子焼の魅力に惹かれて年々多くの観光客が訪れています。

益子町は栃木県南部に位置していて、陶芸が始まったのは江戸時代に遡り、今日では関東地方でも指折りの陶芸の里と呼ばれるまでになっています。

現在、益子には250におよぶ窯元かまもとがあるとされ、国内はもとより海外からも多くの陶芸家がこの地に居を構え、陶器の製作に励んでいると言われています。

そんな益子焼ですが、今日さかんになった歴史がどのようなものであったのか、また、多くの人たちを魅了する益子焼の特徴についてご紹介します。

益子焼の歴史

益子の地で陶器が最初に作られたのは、発見された窯址ようし(窯の跡)から奈良時代にまで遡ると言われています。

ただ、それ以降の時代に益子の地で域で陶器作りが盛んに行われたという史実はなく、一般にはこの時期は益子焼の起源とはされていません。

益子の地での焼き物は古くからあったようですが、「益子焼」という形になったのは江戸時代になってからでした。

益子焼の起源は、笠間(今の茨城県)で陶器作りの技術を身に付けた大塚啓三郎おおつかけいざぶろうによる開窯かいよう  (陶器の窯を稼働させること)とするのが通説です。

大塚啓三郎は、当初、黒羽藩※1のおさめる茂木町に住んでいましたが、益子町にやって来て益子焼を特徴付ける独特な陶土を発見します。

※1 黒羽藩くろばねはん:下野国(栃木県)那須郡の一部に存在した藩の1つ。

そして、江戸末期の嘉永6年(1853年)に開窯し陶器を作り始めることになりますが、一般的にはこの時期が益子焼の起源とされています。

ですから、益子町で本格的に陶器作りが始まってまだ160年ほどしか経っていないということになります。

益子町は、国内外で名が知れ渡る有数の窯場であるにもかかわらず、比較的新しい陶産地であると言えるでしょう。

黒羽藩は、藩の財政を潤す為の殖産事業の一環として益子焼に注目し、益子町の陶器作りを支援、奨励しました。

そして、益子焼による擂り鉢すりばちや油壺などの日用雑器を量産し、関東平野を南北に流れる鬼怒川などの一級河川を利用して船で江戸まで運び、販売しました。

明治時代になると、さらに益子焼の需要は膨らみ、この地域の陶業も盛んになりました。

そして、関東全域をマーケットとした販売も順調に進んでいきました。

主要製品は相変わらず日用雑器でしたが、この頃には、土鍋や土瓶、植木鉢なども作られるようになったそうです。

現在、益子焼の芸術性の高さが評価されていますが、このような土瓶や土鍋こそが、芸術品としての益子焼がつくられ始めた最初の品だと言えます。

というのも、後に、著名な陶芸家、濱田庄司はまだしょうじがこの時期に作られた益子焼の山水土瓶を激賞し、同種の陶器が盛んに作られるようになったからです。

そのままの勢いで順調に発展していくかに見えた益子焼ですが、明治時代の末期になると、その勢いも徐々に影をひそめて行きます。

この頃、近代化の流れから東京では人々のライフスタイルが変わっていき、日用雑器に金属製の物も次第に普及し、益子焼の需要も次第に落ちていきました。

まさに、益子焼にとっては危機的状況ですが、それを脱する転機となったのが、大正13年に起こった「民芸運動」でした。

民芸運動とは、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出す日本独自の運動です。

この運動を主導したのが、著名な陶芸家で人間国宝にもなった濱田庄司です。

濱田は益子町に住み、「用の美」という考え方のもとに多くの作品を残しました。

「用の美」とは、名の知れない職人が作った日用雑器など、庶民の中で生まれた工芸品の中に美しさを見出し、それを使っている人の姿に美しさを感じるという思想です。

この思想に感化されて、佐久間藤太郎さくまとうたろうなど何人かの陶芸家が益子焼による民芸品を作成していきました。

益子焼の特徴、著名作家、体験できる場所など

益子焼の特徴

益子焼の魅力を生み出しているのは、なんといっても焼きあがった後に独特の風味を醸し出してくれる陶土です。

益子町新福寺地区の、粘土質の高い新福寺粘土などは、粗くて気泡を含んでおり割れやすい性質の素材ですが、だからこそ陶器作りの技術が発達して行きました。

また、そのように砂地すなちが多い地質では、ごつごつした厚肉の作品になりやすく、それが独特の素朴な風味を作り出しています。

さらに、焼き上がったものは黒く変色する傾向がありますが、これは陶土に含まれている鉄分が多いのが原因です。

そのため、益子焼は釉薬ゆうやくと呼ばれる上薬うわぐすりを塗って仕上げるのが一般的です。

釉薬には、糠白ぬかじろを連想させる白釉はくゆうや茶色の柿釉かきゆうなどがあり、これらを塗ることで益子焼特有の風合いを出すことに成功しています。

益子焼を特徴づける技法に「流し掛け」という技術があります。

この技法は、釉薬を柄杓ひしゃくで器にしたたらせ、線を描くように色付けして行く手法です。

陶芸作家は器を持っている方の手も同時に素早く動かすことで、自分の意図する模様を器に巧みに描いて行きます。

流し掛けによって作り出される模様は、シンプルでありながら流麗で勢いのある大胆な絵柄が特徴的です。

この技法は濱田庄司が好んで用いていましたが、イギリスで18世紀に作られたスリップウェアと呼ばれる陶器の作成手法を参考にしたと言われています。

益子焼の著名作家

益子焼を作成する陶芸家の中には、著名になった人も数多くいますが、以下に現存している注目の作家さんをご紹介します。

・広瀬佳子

作品が食卓に置かれていると、日常的な食事風景の中で特別な雰囲気を漂わせ、上品な味わいを感じさせてくれる作風で知られています。

栃木県窯業技術支援センター出身の若手の作家さんで、個展などでは出品作がすぐに売り切れてしまうほど多くのファンから支持されているようです。

・豊田雅代

作品は、愛らしい繊細な模様を「イッチン」と呼ばれる独特の技法で描くスタイルが特徴的です。

描かれるイッチン模様は、1つとして同じものはなく自分のフィーリングに合った自分だけの作品を選んで購入することができます。

・志村和晃

男性ですが、いかにも女性が好みそうな愛らしい絵柄が特徴的な陶器を作る作家さんです。

キュートで愛らしい絵柄と垢ぬけた上品なかたちが洗練された雰囲気を醸し出しており、和洋折衷のバランスのとれた作風が注目の作家さんです。

・岡田崇人

モダンでスタイリッシュな雰囲気と、土の風味を漂わせた素朴な味わいが同居している独特の作風で知られた作家さんです。

作品には、鳥や草木をモチーフにした絵柄が大胆な筆致で描かれた物が多く、和食にも調和して使いやすいと評判です。

益子町での陶器作りを体験したかったら

益子町で、益子の陶土を使って実際に陶器作りを体験してみたい場合、以下の会社で体験できます。

【株式会社 つかもと】

広い敷地の中に、ギャラリーや陶芸体験教室、陶器工場があり、陶器作りを体験できます。

住所:栃木県芳賀郡益子町益子4264
TEL:0285-72-3223

益子焼を買いたいなら

益子焼を手に入れたい場合、以下の場所で購入できます。

【益子窯元共販センター】

住所:栃木県芳賀郡益子町大字益子706-2
TEL:0285-72-4444

おわりに

益子町は、比較的に歴史が浅い にもかかわらず短期間のうちに陶芸の中心地としての地位を占めるまでになりました。

その秘密が「用の美」という思想で、そのような考え方のもとに作られてきたからこそ、益子焼は芸術的な輝きを持った陶器として、日常の中で愛用されていくようになったのかもしれません。

陶芸に興味のない人も、益子町に一度訪れてみてはいかがでしょうか。

優れた芸術作品の多くが持っている無言の迫力やエネルギーに、知らず知らずのうちに惹きつけられ、驚かされるかもしれません。