「ぽってりとした厚みがあり、白磁に藍色が映える、日常使いの染付そめつけ※1の器」という特徴を持つ砥部焼は、生活雑器として長く愛されてきました。

※1 染付:白地に藍で描かれたもの。

呉須ごす(酸化コバルト)という顔料で絵付けをし、透明釉をかけて焼く。

砥部焼とべやきが作られているのは、愛媛県の県都・松山市から国道33号を南下し、重信川を超えた先にある伊予郡砥部町とその周辺市町です。

今回は、磁器創業 240年の歴史を持つ砥部焼の歴史や魅力についてご紹介したいと思います。

砥部焼の歴史

磁器が開発された江戸時代

砥部は、かつては「伊予砥」と呼ばれる砥石の産地として有名で、古くは奈良時代の「正倉院文書」にその名が記されています。

残念ながら、現在は砥石の生産はされていません。

燃料となるアカマツや、窯を築くのに適した傾斜地が多い砥部では、古墳時代から須恵器などを焼いており、江戸時代半ばまでは陶器が作られていました。

安永4年(1775年)、当時の藩主加藤泰候かとう やすときが、藩の財政の立て直しを図るため、砥石の切り出しの際に出る大量の砥石屑を使い、当時まだ高級品であった磁器の開発を命じました。

開発を担った杉野丈助すぎの じょうすけが、苦難の末に安永6年(1777年)に磁器焼成に成功。

その後、良質の陶石の発見や技術革新が進むなどして、砥部の磁器産業は一気に発展しました。

江戸時代の砥部焼は、手描きの素朴な染付の日用雑器が多く作られており、大坂の淀川で、船で食事を提供するための「くらわんか碗」として使われるなど、西日本各地に流通しました。

輸出で栄えた明治・大正時代

明治になってからは、海外向けの派手な金彩を施した豪華な大型の磁器や、素焼きに型絵を巻き付けて絵付けを施す「型絵染付」で大量生産された食器類が作られます。

型絵染付の茶碗は「伊予ボール」の名で中国や東南アジアなどに輸出され、大正期には生産の7割が輸出されていました。

明治26年(1893年)には、地色が淡い黄色の「淡黄磁たんおうじ」がシカゴ世界博覧会で一等賞を獲得し、世界にその名が知れ渡りました。

民芸運動と戦後の砥部焼

昭和になると、不況や戦争の影響で窯元や問屋の数は大きく減りました。

戦後は花器や置物などを細々と作っていましたが、昭和28年(1953年)、転機が訪れます。

民芸運動※2の提唱者、柳宗悦やなぎ むねよし、バーナード・リーチ、濱田庄司らが砥部を訪れ、手仕事の技術が残っていることを高く評価し、ロクロや絵付けの技術、デザイン力の向上などのアドバイスを与えたのです。

※2 民芸運動:大正末期に柳宗悦が提唱した、庶民の日用品にこそ美がある(「用の美」)
とする考え方。

その後、最大手の梅山窯(ばいざんがま)を中心に、江戸時代の砥部焼のような、手づくり手描きの普段使いの磁器の産地としての新たな歩みが始まりました。

現在の「砥部焼」としてイメージされるデザインのほとんどが、この時期に確立しています。

やがて、昭和40年代の旅行ブーム、やきものブームによって砥部焼を求める消費者が増え、窯元の数も増加しました。

現代の砥部焼

砥部焼は昭和51年(1976年)、陶磁器の分野では全国で6番目に、「国の伝統的工芸品」※3に指定されました。

※3「国の伝統的工芸品」:伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)に基づいて経済産業大臣が指定する日本の伝統工芸品。

陶磁器の他、木工や織物など平成30年(2018年)現在232点が指定されている。

砥部焼の「国の伝統工芸士」※4は平成30年(2018年)現在で15名を数え、「卓越した技能者(現代の名工)」にも3名が認定されています。

※4「国の伝統工芸士」:国の伝統的工芸品の製造に従事している者の中から、伝産法に基づいて行われる試験に合格した高度の技術・技法を保持する者。

平成30年(2018年)現在4,060名(内女性660名)が活躍している。

現在、およそ100軒の窯元があり、代表的な染付だけでなく、カラフルな色を使った絵付けをしたもの、白磁や青白磁など、釉薬を使った作品、陶器や人形などバラエティー豊かな作品が作られています。

特に、近年は女性陶工の活躍が目立つようになり、女性ならではの感性を生かした色使いやデザインなど伝統にとらわれない作品が生み出されています。

また、県や町が主催する陶工養成のための「砥部焼陶芸塾」の卒業生が独立して個性的な作品を発表するなど、砥部は新しい風が常に吹いている産地といえます。

砥部焼の魅力はどんなところ?

手づくりと手描き

砥部焼の原料となる陶石は町内から産出されており、採石場や製土工場も町内にあります。

焼成にはガス窯や電気窯が多く使われています。

砥部焼の窯元は、個人や家族、夫婦など小規模な人数で経営しており、自宅兼作業場、ということも珍しくありません。

そのため、大型の機械や設備を入れず、製造過程のほとんどを手作業で行っています。

砥部の染付製品で描かれる文様は、写実的なものよりも意匠化された草花文が多く、シンプルでモダンなデザインが多くみられます。

砥部焼でもっとも有名なのは「唐草文」ですが、これは植物のツルを流れるような筆遣いで一気に描きあげた、大胆なデザインです。

その他「太陽文」「なずな文」「十草文」など、シンプルでありながら手描きの味が感じられる文様が多く描かれています。

また、ロクロの技を生かした造形に映える、白磁や青白磁などの釉薬をかけたものもあります。

多種多様でオンリーワンの作品

砥部焼は先程述べたように、ほぼ手づくりのため、画一的な大量生産品を作ることは難しく、同じ陶工が手掛けたものでも、絵付けでの呉須の濃さや筆遣い、釉薬の濃さなどが微妙に異なることがあります。

しかしながら、その微妙な器の表情や雰囲気の違いの中から、自分の気に入ったものを見つける楽しさが、砥部焼の魅力の1つであるといえるでしょう。

少量生産の強みを生かし、オーダーメードの食器や花器、洗面鉢、雛人形、名入れの子供用食器などを手掛ける窯元もあります。

陶工がわざと同じ器物に遊びを入れて、変化をつけることもあります。

さきほど述べた最大手の梅山窯では、豊富な器種と絵柄の組み合わせで7000種類ものバリエーションがあります。

数多くの商品の中から、自分の感性に合う器をみつけたとき、愛着もひとしおになることでしょう。

日常使いに適した焼きもの

砥部焼は、磁器でありながら素朴で温もりがある器だと言われます。

その理由として、やや厚手の形状と、白すぎない地肌、そして手描きされた藍色の文様のバランスのよさが考えられます。

デザインがシンプルなので、毎日使っても飽きが来ず、食器として使い勝手がよいやきものです。

また、高温で焼かれるため、堅く、重ねても割れにくいという良さがあります。

そのため、飲食店でも人気があり、縁が丸みを帯びた「玉ぶち」の丼はうどん店などでよく使われています。

食器の他に、花器や茶器、洗面鉢やランプシェード、オブジェなど、幅広いジャンルの製品が作られています。

砥部焼が欲しいと思ったら?

砥部焼の大きな即売会は年に2回行われています。

春に開かれる「砥部焼まつり」は、約10万点が会場内に並びます。

市価の2割~3割引で購入できるため、毎年10万人を超える来場者がある砥部焼の最大級の即売会です。

一方の「秋の砥部焼まつり」は、窯元による対面販売で、会話や価格交渉を楽しみながら購入できます。掘り出し物やお買い得品に出会えるかもしれません。

また、大型販売店が春と秋に感謝価格で販売するイベントをしています。

愛媛県外では、東京の松屋銀座で毎年1月中旬に即売会があります。こちらは平成31年(2019)で34回目の開催となる、伝統あるイベントです。

その他、常設販売をしている店舗は砥部町観光協会のホームページ内の「とべやきコンシェルジュ」から検索できます。

砥部町内で窯元めぐりをする際に必要なマップやガイドブックなどは、観光協会や砥部焼伝統産業会館でもらえます。

特に、砥部焼伝統産業会館では歴史的な作品から現在の窯元の作品まで揃っているので、気になる窯元や作品について相談してみるのもよいでしょう。

なお、窯元へ行く場合は、事前に問い合わせをしてから訪問することをオススメします。

おわりに

いかがでしたか?

砥部焼は日常使いの器として発展してきました。

みなさんも白磁に藍色の美しい砥部焼を、日々の暮らしの中に取り入れてみませんか?