「ジャポニカ米」とは、日本で多く栽培され食べられている、お米の種類の一つです。

世界で作られているお米は、インディカ米・ジャポニカ米・ジャバニカ米と大きく3種類に分けられています。

ジャポニカ米は温暖で程よく雨が降る地域での栽培が適しており、世界的な生産量としては2割にも達しません。

そんなジャポニカ米は、日本でどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

※お米の世界的な生産量:インディカ米が8割を占め、ジャポニカ米は2割弱、ジャバニカ米は最も少ない生産量となる。

ジャポニカ米の特徴と起源

ジャポニカ米の特徴は、

● インディカ米と比較し短く、丸みのある楕円形
● 炊くとふっくらツヤやかに、もちもちと粘り気が出る
● 噛むほどに甘みが増してくる

などが挙げられます。

ャポニカ米の起源

ジャポニカ米の起源は、中国の赤長米あかながまい福建米ふっけんまい)だったと考えられています。

縄文時代に日本に伝わり、稲作技術や調理技術の進化と共に、日本全国に稲作が広まりました。

すると、それまでの狩猟採集しゅりょうさいしゅうの生活から、栽培した米を食べるようになったことで食生活が安定していきます。

ジャポニカ米の栽培に日本の風土が適していたことから、次第にお米は主食として定着するようになりました。

江戸時代には、田んぼに対する納税(年貢)として領主にお米を納めていました。

ところが、明治時代に入り地租改正ちそかいせいが行われ、税の徴収がお米からお金に変わり、お米は食用米としての品種改良が進むようになりました。


※地租改正:1873年(明治6年)に政府により行われた租税制度改革。この改革を機会に、土地の価格を基準に課税すること(地租は地価の100分の3)とし、納税にはお米ではなくお金を用いることとなった。

日本のお米、品種改良の歴史

現在、日本で作られている稲(米)の種類は1,000を超えます!
※2019年(平成31年)時点の情報

では、一体どのようにして、これだけの数のお米の品種が作られるようになったのでしょうか?

少し歴史を紐解いてみましょう。

治時代以降から本格的になった、米の品種改良

お米の生産量増加や食味※1向上のため、明治時代後半から全国の農事試験場※2でお米の品種改良が推奨されました。

日本で最初に品種改良されて作られたお米は、大正10年(1921年)に育成された「陸羽りくう132ごう」という品種でした。

岩手県出身の作家であり、農学校の教師や肥料設計など農業技師でもあった宮沢賢治が普及に努めた品種とされています。


※1 食味:食べ物の味、食べた時の味わいのこと。
※2 農事試験場:新しい農業技術の開発や作物の品種改良を行う、農業の研究機関。

当時、冷害の多かった東北地方で、冷害に強く味も良いお米をということで「交配こうはい」という方法を使って開発されました。

「交配」という方法は、お米の品種の特徴を掛け合わせて、人工的により良い品種を作り出そうというものです。

それまでは「分離育種法ぶんりいくしゅほう」といって、優れた特性を持つ稲を選ぶという方法がとられていました。

「交配」によって、“冷害に強い・病気に強い・食味が良い”など、それぞれの品種の持つ長所を掛け合わせて短所を補い合い、生産量が多く、より美味しいお米作りを目指して品種改良が重ねられてきました。

このようにして、多くのお米の品種が開発されてきたんですね。

おわりに

私たち日本人が当たり前のように食べているお米には、長きに渡る歴史があることがわかりましたね。

大量に、そして安全で美味しいお米を国民に届けるべく、今もなお、地域の気候や病気に強い稲を開発するため品種改良がおこなわれています。

「いただきます。」

農家の方、農場試験場の方、お米に関わる全ての方を想って、今日もお米をいただきましょう!