令和6年(2024年)、元日に起きた能登半島地震から半年。

まだまだ進んでいない復興活動の中で、伝統を受け継ぐ地元の企業は何を思うのでしょうか。

今回は、能登で刃物製作・修理を行う野鍛冶、ふくべ鍛冶の代表・干場健太朗ほしばけんたろうさんに独占取材を行い、ブランドへの想いや能登地震復興の状況、現在の展望などを伺いました。

野鍛冶とは?

そもそも刃物などの鉄製品を製造する職人を意味する鍛冶屋には、大きく三つの種類があります。

野鍛冶のかじ」とは、この中の一つで、暮らしで使われる道具を幅広く手掛ける鍛冶屋のことです。

他には、刀を専門とした“刀鍛冶”、包丁やノコギリなど、一つの商品の鍛冶を専門とした“専門鍛冶”がいます。

刀鍛冶や専門鍛冶は製造を手掛けているのに対し、野鍛冶は製造だけでなく修理も行っている、いわば「町の鍛冶屋さん」です。

道具を使う中で発生するお客様の悩みを解決する役割もあり、地域の人々の生活に寄り添い、頼りにされてきた職人なのです。

ふくべ鍛冶とは?

「株式会社ふくべ鍛冶」は、明治41年(1908年)に能登町の藤波地区に創業した野鍛冶です。

大正2年(1993年)に行商をはじめ、馬車で刃物や農具などの修理・製造依頼を受けて回っていました。

トレードマークでもある“ひょうたん”は、初代で酒好きの干場勇作ほしばゆうさくさんが行商中、常に腰にぶら下げていたことから来ています。

ひょうたんは、“ふくべ”とも呼ばれるため、そこから「ふくべ鍛冶」の名前が付いたのだそうです。

近代化が進み需要が減ってきたいま、地域に根付いた伝統技術を残していくため、インターネットでの包丁研ぎ受付サービス“ポチスパ”や、ポチスパの受注システムを“リペアクラウド”として他業界にも輸出するなど、全国各地の「困った」を「良かった」に変えるため、さまざまな事業を行っています。

チスパとは?

「ポチスパ」とは、専門の職人が、全国どこからでも包丁研ぎを行ってくれるサービスです。

検品、歪み直し、荒砥ぎ、中砥石、仕上げ砥石、バフがけ、クリーニング、検品の流れで作業を細かく分けて丁寧に修理を行います。

刃の欠けや歪み修理などが発生した際のオプション料金などがかからず、どんな状態の包丁でも一律の金額で修理してくれることが特徴の一つ。

クリーニングまで行ってくれるため、お客様が長らく使う中で蓄積した、目には見えない細かな汚れもしっかり落としてくれます。

「ものを大切に、長く使う心を育む」をモットーに、確かな技術でお客様に寄り添ったサービスを提供しています。

ペアクラウドとは?

「リペアクラウド」は、伝統産業品の修理プラットフォームです。

ポチスパでも利用している、修理に特化した受注管理システムのことで、能登地震を経験した干場さんが、どんな状況であっても「職人の技術やノウハウの活用を止めてはならない」と、立ち上げました。

修理事業を発展させることができれば、未だ復興の糸口をつかめずにいる能登の事業者の助けになると考え、本システムを他業界にも活用してもらうことで、その輪が広がっていくことを目的としています。

干場さん

今後、もっとたくさんの企業様と協業して、さまざまな工芸品を受け付けたいと考えています。

修理を募ることで新しいものが売れなくなるのではないか、という懸念の声も聞くのですが、むしろうちの場合は、ポチスパをはじめた後、商品も多く売れ出したという現状もあります。

長く使う日常の道具を買う時って、信用できる企業のものを購入したい、という方も多いと思うんです。

ですので、リペアクラウドは新たな商品を手に取る入り口としても、お客様に役立てていただいているように感じています。

干場健太朗×Q&A

ここからは、ふくべ鍛冶4代目 の干場健太朗さんに独占取材した様子をお届けします。

場さんが思う、野鍛冶の魅力とは?

干場さん

野鍛冶は、地域の文化になくてはならない職業だと思っています。

農業や漁業などの産業で使用する道具を作ったり、修理したり。

地域に根付く伝統文化とは、切っても切れない関係性にある職業なんです。

あとは、地域の困った人が集まる場所になっているというのも魅力の一つです。

「ここをもっと改善したい」「こういう新しいことがしたい」といった方がいらっしゃるので、さまざまなアイデアが集まる場所でもあって。

交流の場としても、地域活性化に繋がる可能性を秘めていると思っていますね。

登半島地震当日の状況を教えてください。

干場さん

地震当日は、家族全員、親戚も含めてうちに集まっていました。

2回目の揺れでは立っていられないほどだったので、とにかく高台に逃げなくてはと思いました。

慌てて、その場にあった食糧として、用意していたおせち料理とマキリ包丁を持って外に出ました。

幸い、うちは家や工房が倒壊するなどはなかったですが、壁にヒビが入ったり、物が散乱してしまうなどの被害がありました。

震後の生活はどのようなものでしたか。

干場さん

地震が起きた後は、避難所でしばらく生活していました。

しかし、すぐに職人たちから、ずっと避難所にいても気が滅入ってしまうから、仕事をさせてくれと言われて。

皆前を向いている生きているんだ、と、胸が熱くなりましたね。

そこで、1月10日には工房に戻って、散乱した道具や傾いた機械なんかを自分たちで直した後、仕事を開始しました。

状況が状況だったので、数人の職人は辞めざるを得なくなってしまったのですが、今回のことで会社が無くなって困っていた方もいたので、その方たちを雇って、現在はなんとか事業を続けています。

回の能登半島地震で、印象的だったことはありますか。

干場さん

能登半島地震で、朝市通りにあった輪島塗の工房が全焼するということがありました。

製造で使う刀もすべて焼けてしまって、なんとかできないかとお話をいただいて。

焼けた現場から残っている道具を持ってきて、修善をしてみることになりました。

かなり昔のもので、はじめて触るような道具もありましたし、うまくいくか心配だったのですが、1週間ほどでその道具を直すことができて。

職人の方にお渡しした際には、涙を流して喜んでくれて、野鍛冶の職業や自分の仕事は地域に役立っている、と改めて実感して、とても嬉しかったです。

在の目標や未来への展望を教えてください。

干場さん

以前より人口も減っていることもあり、地震前の状態に戻しただけでは、このまま野鍛冶の技術を伝え続けていくには到底足りないと思っています。

なので、元に戻す以上のことを、今現在は考えて日々動いています。

これからの目標としては、まず、全国どこでも、誰でも鍛冶屋の機能を使っていただける環境をつくること、です。

うちのような町の鍛冶屋はどんどん減っていく現状があり、全国でも100社ないくらい、しかも70~90代の方がされている会社がほとんどだと思います。

ですので、自分の住んでいる町に鍛冶屋がいなくてお困りの方も、たくさんいらっしゃいます。

そういった方の手助けになるようなシステムを確立して、もっと多くの方の暮らしの支えになれたら、と考えていますね。

もう一つは、弊社システム「リペアクラウド」をもっとたくさんの方に知ってもらい、伝統工芸の現場を助けるという未来を作ることです。

さまざまな伝統工芸品が衰退の道を辿っている今の世の中、デジタルの分野を活用しなければ、継続は厳しいと考えています。

しかし、伝統工芸を担う方はやはり上の世代の方も多くいらっしゃって、一からデジタルをはじめるとなると、時間も労力もかかってしまう。

やはり確かな技術を持った職人の方には、伝統工芸を作る分野に集中していただきたいと思っているので、このサービスをもっと知ってもらうことで、少しはお助けできるのではないかという気持ちです。

取材を終えて

干場さんは、今回のお話の中で、「能登の人は我慢強いので」と仰っていました。

震災直後から、復興のため、地域の産業を絶やさないために動かれているお姿がとても印象的で、熱いものがこみ上げてきました。

日々奮闘されている能登の方のお話を聞ける貴重な機会をいただき、自分も復興のために出来ることを模索したいと思うと同時に、今ある当たり前を当たり前と思わないように過ごそうと、改めて感じることができました。

現在も、能登で事業を行っている方の多くが、1日でも早い復興のために活動されています。

インターネットからでも、サービス利用や商品購入を行うことが、能登の支援に繋がります。

まずはサイトを覗いてみるだけでも構いません。

きっと、あなたが探しているモノやサービスを展開しているお店に出会えるはずです。

干場健太朗氏の略歴

1980年生まれ、能登町出身。

大学で経営学を学び2003年4月能登町役場に入庁。

地域産業の活性化や伝統文化の継承支援などの業務に携わる。

12年後、母の病死を受け家業で創業100年以上の鍛冶屋を4代目として継ぐ。

包丁研ぎの本格的な職人技を気軽に注文できる「ポチスパ(包丁研ぎ宅配サービス)」を開発。

震災後は、そのシステムを生かした伝統産業品等の修理プラットフォーム「リペアクラウド」の立ち上げなど地域産業支援を行っている。