写真提供:熊本県観光連盟

熊本県は、九州地方に位置する大自然に恵まれた県です。

世界有数のカルデラと名高い阿蘇カルデラがあり、古くから「火の国」と呼ばれてきました。

火山が近いことからあちこちに温泉が湧き、なんと熊本県内だけで118ヶ所もの温泉が存在します。

また、平成22年(2010年)に誕生した熊本県PRマスコットキャラクターの「くまモン」は、日本のみならず世界的に人気を博し、関連商品の累計売上高は1兆円を超えるほどです!
※令和3年(2021年)時点

そんな熊本県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、30品目以上の伝統工芸品が存在します。

この記事では、その中でも経済産業大臣によって「伝統工芸品」として指定されている4品目をご紹介します。


※カルデラ:火山噴火により発生した陥没地形のこと。

伝統的工芸品とは?
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること

本記事の内容は、令和4年(2022年)3月時点のものです。
掲載内容は変更していることもありますので、ご留意ください。

小代焼

小代焼しょうだいやき」は、江戸時代初期から熊本県北部で焼かれている陶器です。

熊本藩初代藩主の細川忠利ほそかわただとしが、北九州から熊本に移る際に上野焼あがのやきの陶工である源七と八左衛門を招き、藩の御用窯を開いたことがはじまりとされ、これまで茶道具や日用食器などが作られてきました。

小代焼の技法の一つに、柄杓ひしゃくで釉薬を勢いよく流しかける“流し掛け”があります。

流し掛けによる釉薬の流れが生み出すダイナミックな模様が、鉄分の多い土で作った力強い器肌に見事にマッチし、独特の風情を生み出します。

なかでも、稲藁を焼いて出た灰を主原料にした藁灰釉わらばいゆうの上から、籾殻を燃やして出た灰を主原料にした籾殻灰釉もみがらばいゆうをかける“二重かけ”という技法を用いた作品は、まるで雪が降ったような白だと賞賛されるほどの美しさです。

品名小代焼
よみしょうだいやき
工芸品の分類陶磁器
指定年月日平成15年(2003年) 3月17日


天草陶磁器

天草陶磁器あまくさとうじき」は、熊本県天草地方で生産される陶磁器類のことです。

天草陶磁器の原料には、江戸時代初期に発見された良質な天草陶石あまくさとうせきが使用されます。

約340年前に生産がはじまった天草陶石を使用した磁器は、透明感のある白い器として知られています。

磁器から約100年遅れて生産がはじまった陶器は、海鼠なまこ釉等を使った独特な色味を持つ器が有名です。

天草陶磁器が誕生した当時、江戸幕府の直轄領ちょっかつりょうであった天草の村々が、各地の庄屋しょうやの元で作陶業を行なったことがきっかけで、村ごとに独自の発展を遂げていきました。

現在では、窯元ごとに得意とする技法が異なり、白い色が美しい白磁の内田皿山焼や高浜焼、海鼠釉をかけた水の平みずのだいら焼、窯の炎によって変化する釉薬を基本とする丸尾焼など、個性豊かな品々を楽しむことができます。


※庄屋:江戸時代に村の統治を担った村落の長のこと

品名天草陶磁器
よみあまくさとうじき
工芸品の分類陶磁器
指定年月日平成15年(2003年)3月17日


肥後象がん

肥後象ひごぞうがん」とは、熊本県熊本市で作られてきた金工品です。

象がん(象嵌)とは、一つの素材に模様をかたどった異質の素材をめ込む加飾技法です。

象がん発祥の地はシリアだとされ、シルクロードを経由して飛鳥時代に日本に伝わってきたと考えられています。

肥後象がんは、江戸時代初期に林又七はやしまたしちという人物が銃身や刀のつばに装飾を施したのがはじまりだといわれています。

現在では、ブローチなどのアクセサリー、インテリア、万年筆など日用品の装飾に幅広く用いられています。

肥後象がんは、武家文化を生かした重厚感と上品さが特徴で、漆黒の鉄に金や銀で装飾された模様の気品のある美しさが魅力です。

品名肥後象嵌
よみひごぞうがん
工芸品の分類金工品
指定年月日平成15年(2003年)3月17日


肥後象嵌についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください♪

山鹿灯籠

山鹿灯籠やまがとうろう」とは、熊本県山鹿市やまがしに伝わる紙細工です。

木や金具は使用せず、灯籠師が和紙と糊だけを使って立体的に組み上げていく“骨なし灯籠”で、細部まで細かい作りが魅力です。

まるで金属のように見える“金灯籠かなとうろう”のほか、建物を模した“宮造り”、“城造り”などさまざまな形のものがあります。

山鹿灯籠の歴史は古く、山鹿に巡幸された第12代景行けいこう天皇を、松明たいまつを掲げてお迎えしたのがルーツであるとされています。

その後、山鹿の人々は景行天皇を祀った大宮神社をたて、毎年灯火を献上するようになり、室町時代になると松明ではなく紙で作った金灯籠が使用されるようになりました。

現在では、毎年8月に金灯籠を頭にのせた女性たちが山鹿市内を踊り歩く『山鹿灯籠まつり』が行われ、人気を集めています。

品名山鹿灯籠
よみやまがとうろう
工芸品の分類その他の工芸品
指定年月日平成25年(2013年)12月26日


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