「江戸べっ甲」は、主に東京都で作られている、ウミガメの甲羅を加工して作られる装飾品です。

昭和57年(1982年)に東京都の、そして平成27年(2015年)には国の伝統的工芸品に指定されました。

今回は、そんな江戸べっ甲を製作、販売されている江戸鼈甲屋の代表・石川浩太郎さんに独占取材!

製作工程を見せて頂くと共に、ブランドや江戸べっ甲への想いを伺いました。

伝統的工芸品とは?
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること

「江戸べっ甲」とは?

「江戸べっ甲」は、江戸幕府が開かれた慶長8年(1603年)頃に作られ始めた装飾品です。

江戸幕府初代将軍・徳川家康も江戸べっ甲の眼鏡を愛用していたのだとか。

ただ、日本におけるべっ甲細工自体の歴史は大変古く、正倉院の宝物にも使われていることから、飛鳥・奈良時代には存在していたと考えられています。

その後、5代将軍・徳川綱吉が江戸幕府を納めた延宝8年(1680年)から宝永1年(1704年)の元禄期頃に、べっ甲細工の“貼り合わせ”と呼ばれる技法が江戸に伝わったことでより緻密なデザインが可能となり、江戸べっ甲は独自の発展を遂げていきました。

ウミガメの1種である玳瑁たいまいの甲羅を材料としている江戸べっ甲の特徴は、その模様の美しさや軽さにあります。

自然由来の素材であるが故に、同じ模様は一つとして存在せず、作品ごとに職人の個性が強く反映される工芸品でもあります。

現在は、ワシントン条約によって材料となる玳瑁の甲羅が輸入禁止となっているため、条約以前に輸入した在庫品を使用して作られています。

江戸べっ甲の作品は、帯留めやかんざしなど和装用の装飾品のほか、眼鏡やネックレス、ブローチなどが一般的です。

「石川べっ甲製作所」が手掛ける「江戸鼈甲屋」とは?

「石川べっ甲製作所」は、7代に渡り、江戸べっ甲の作品を作り続けている江戸べっ甲の工房です。

享和2年(1802年)に創業し、現在は7代目・石川浩太郎さんが代表を務め、計4名の職人とともに運営しています。

そんな石川べっ甲製作所が平成23年(2011年)、東京都・亀戸に小売店「江戸鼈甲屋」をオープン。

職人が作って問屋が卸し、販売店が売る、という流通の形で生まれてしまう、『職人が直接お客様と関わることができない』という状況をなくしたい、という想いからオープンに至りました。

人気商品は、江戸べっ甲のフレームが美しい腕時計。

代表である石川さんは、オンラインでの販売やオーダーメイドの製作をこなしながら、“東京ブランド”を確立すべく、一般社団法人「江戸東京ブランド協会」を立ち上げるなど、日本文化継承のために多方面で活躍されています。


江戸べっ甲の製作工程

では、そんな江戸べっ甲は、どのようにして作られているのでしょうか?

江戸鼈甲屋さんの工房にお邪魔し、特別に腕時計の製作工程を見学させていただきました!

料選び

まずは、作る作品に合わせて材料である玳瑁の甲羅を選んでいきます。

江戸べっ甲は、何枚もの甲羅を貼り合わせて模様を作る工芸品です。

甲羅を重ね合わせた時に奥から透けて見える完成形を想像しながら、適したものを選んでいきます。

ここで、石川さんに「玳瑁が輸入禁止となっているが、他の亀の甲羅ではこの模様は再現できないか?」と質問をしました。

基本的に、玳瑁でない亀の甲羅でもこの複雑な柄は持っているとのこと。

しかし、甲羅を貼り合わせるときに使用するにかわという成分を強く持っているのが、玳瑁の甲羅だけなのだそうです。

膠質の玳瑁を使うことで、接着剤を使用することなく、水や熱を加えるだけで甲羅同士を貼り合わせることができるため、玳瑁の甲羅を使う必要がある、ということでした。

り出し・荒削り

甲羅の選定ができたら、切り出しの作業に入ります。

切り出したいサイズの台紙を甲羅にのせ、台紙に合わせて表面に傷をつけていきます。

次に、糸鋸を使い、先ほど付けた傷をなぞって甲羅を切り出します。

切り出した甲羅は、ヤスリを使って表面を整えていきます。

この時、甲羅に油分が付いてしまうと後の張り合わせで部材同士が付かなくなってしまうため、なるべく触らないように隅を持って削ります。

り合わせ

つづいて、切り出した甲羅同士を張り合わせていきます。

この張り合わせが、江戸べっ甲の最も特徴的な作業とされており、他の工芸品には見られない工程だそうです。

甲羅を水に浸して水分を持たせたら、甲羅同士がズレないように固定し、濡らした木の板で上下を挟みます。

木の板を濡らして使用するのは、この後の工程で甲羅が焦げてしまうのを防ぐためです。

万力の上に部材を置いたら、上から熱した鉄板をのせ、圧力をかけていきます。

横から潰れ具合を見て圧力を調整し、良い具合のところで止めて10~15分置いておきます。

熱と圧力により張り合わさったべっ甲材を取り出したら、鉄板の上に部材を乗せて水をかけ、一度蒸かしていきます。

この工程を挟むことで、一度潰れたべっ甲が少しフワッと盛り上がる形になるのだそうです。

ここから、切断、曲げ、彫りなどを繰り返し、製品の形を作っていきます。

上げ・磨き

形が出来たら、ヤスリを使って再度表面を整えます。

その後、研磨剤を含んだバフ、鹿の革の順に、丁寧に磨きます。

必要な部品をべっ甲に取り付けたら……完成!

蒔絵を施した腕時計を製作する場合には、すべて出来上がった後に蒔絵師に預けるそうです。

石川浩太郎×Q&A

ここからは、江渡鼈甲屋を運営する代表の石川浩太郎さんに、江戸べっ甲を担う者としての想いを伺った様子をお届けします!

戸べっ甲の魅力は?

工芸品を通して歴史を感じられる、という点ですかね。

古くはヨーロッパから日本に伝わり、独自の進化を遂げている工芸品なので、現在のスタイルになるまでにも果てしない歴史があるんです。

そういった時代背景やストーリーを知っていただくと、より江戸べっ甲という工芸品に価値を感じながら、日々使っていただけるのかな、と思います。

また、江戸べっ甲は長崎のべっ甲と違って、“使える”工芸品が多いことも魅力の一つです。

長崎のべっ甲の中には、“芸術品”としてのべっ甲も多いのですが、江戸べっ甲は、かんざしや帯留めのように、日々使う道具の中で発展しているものが多いんです。

これは、昔は高級品で一般人は手を出せなかったべっ甲が、江戸という庶民の街で受け入れられるために、変わっていったという背景があります。

本のべっ甲と海外のべっ甲の違いはなんですか?

日本人だけが生活で使う、かんざしなどの装飾品が多い、というのはもちろんですが、面白いと思う一つの例として、海外では、べっ甲のオレンジ色の部分のみで作品を作らない、ということですかね。

べっ甲といえば、斑点柄だ!というイメージがあるようなのですが、うちではオレンジの部分のみでも作品をよく作っていて、お客様からも人気があります。

人になろうと思ったきっかけは?

僕の場合は、子供の頃から…ではなかったですね。

父からも、「継いでくれ」とかは言われたこともなくて、最初はずっと商社でサラリーマンをしていました。

あるとき、父が経営の部分で悩んでいたようで、相談されたのがはじめのきっかけです。

最初はあまりやる気もなかったんですが、その後仕事の関係でドイツに行った際、ドイツ人の知り合いに自分の家のことを話したら、「なんでその仕事しないの!?」って皆から言われて(笑)

「その仕事は誰にでもできる仕事じゃないけど、今のお前の仕事は誰かができるんだぞ!」って……

僕も、昔から日本文化という業界の、価値の表現の下手さにムズムズしていた部分はあったんです。

そういう言葉を受けて色々と考えた結果、自分の今のスキルで助けられる部分があるんじゃないか、と思って入る決断をしました。

戸鼈甲屋を経営する上で大切にされていることは?

江戸鼈甲屋というお店が、お客様を受け入れ、お客様からも受け入れていただける場所として、今後長く続いていくことを願っています。

今は息子である僕が家業を継ぐ形になっていますが、僕としては、今後誰が継いでも良いと考えています。

“技術の伝承”というところに重きを置いているので、このお店を通じて、江戸べっ甲の歴史や技術を後の人に長く繋いでいけるように、自分が出来ることをやりたいと思います。

統工芸が身近でない方にも使ってもらうため、工夫していることは?

先ほどお話していた、“歴史を感じる伝統工芸”という部分はもちろん魅力なのですが、伝統工芸が身近にない人に対しては、それが最初のきっかけになるのは難しいですよね。

特に若い世代の方々は、こういう風な作り方をしていて、こんな技術があって…って伝統の部分をプレゼンしても、なかなか刺さらない部分もある気がするので。

だから僕は、最初のきっかけは、「あ、これかわいい」みたいなポップなもので十分だと思っているんです。

そうやって思っていただくために、メディアとか公演とか、そういったところにも積極的に出て、少しでも知ってもらえるきっかけを作りに行くようにしています。

実際、以前有名な俳優さんがバラエティの撮影でお店にいらしたことがあったのですが、堅めのメディアに出るより反響がありましたから(笑)

きっと、「伝統」という部分に囚われずに、今の人に合わせた出方も必要なんだと思います。

あんまり敷居を高くせずに、これからもいろいろな方法にチャレンジしたいな、と考えていますね。

戸べっ甲業界の現在の課題はありますか?

作り手の減少ですかね。

年々すごいスピードで職人の数が減ってきています。

原材料の課題はもちろんありますけど、これは条約もあって仕方のないことだと思うし、現状、国内で玳瑁の養殖の研究も進んできているんです。

実際、じゃあ養殖だけで原材料の数が足りるのか、と言われたら足りないんですが……。

ただ、先ほどもお伝えしたように、作り手が減ってきている=製作数も少なくなると想定しているので、原材料を自国で生み出して、細々とでもこの技術が長く続いていくと良いと思っています。

気に入りの商品はなんですか?

腕時計ですね!

時計や眼鏡ってファッションに左右されすぎないから、ずっと付けられて、自分のトレードマークになるかもしれないものじゃないですか。

この時計を付けていると、「これべっ甲なんだよ」とか、「こういう作品なんだよ」みたいに会話も生まれますし、自分がいないところで「あの人、べっ甲の時計つけてたよね」という風に覚えてもらえるきっかけにもなるので、すごく良いんですよ(笑)

インタビューを終えて

他の工芸品ではなかなか見られない、動物性の材料を使って作る江戸べっ甲。

江戸べっ甲細工ならではの製作工程を間近で見ることができ、とても貴重な経験となりました。

また、石川さんも身に付けられていた腕時計は、太陽の光を通して透き通るように輝く様子がとても美しく、絶対にいつか買おう……と決心しました!

古き良き技術を残していくため、積極的に行動に移されている石川さんのお話を伺い、改めて、正しい情報を広く伝えていくことの重要性を感じることができました。

伝統を大事にしながらも、型にとらわれることなく、現代に寄り添う形で伝えていく……私達も、そんな記事を出し続けていきたい、と強く思いました。

石川浩太郎氏の略歴

1998年 専門学校卒業後、アメリカに留学
2003年 商社勤務を経て、父である6代目石川英雄に弟子入り
2010年 7代目継承
現在  東日本べっ甲事業協同組合専務理事、東京鼈甲連合会役員として、養殖事業やべっ甲の商品、技法を広げる活動を行う