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日本列島のほぼ中央に位置し、南北に長く、北は日本海と福井県、南は近畿地方の他府県すべてと接する京都府。

清水寺をはじめ、世界文化遺産に登録された数々の歴史ある寺社仏閣、庭園、史跡が点在し、祇園祭に葵祭、五山ござん送り火といった古くから続くお祭りやイベントも盛りだくさん!

四季の移り変わりも美しく、一年を通して国内外問わず多くの観光客が訪れます。

丹後たんご中丹ちゅうたん南丹なんたん・京都市・山城の5つの地域にわかれ、とりわけ、平安遷都より1000年以上も日本の首都として栄えた京都市は、北・東・西と三方が山に囲まれた盆地のため寒暖差が激しいかつ湿度が高く、鴨川など水源にも恵まれたことから、染物や織物をはじめとした工芸品の製作に適した土地でした。

そのような背景もあり、京都府では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、80品目以上の伝統工芸品が存在します。

この記事では、その中でも経済産業大臣によって「伝統工芸品」として指定されている17品目をご紹介します。

伝統的工芸品とは?
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること

本記事の内容は、令和4年(2022年)2月時点のものです。
掲載内容は変更していることもありますので、ご留意ください。

西陣織

西陣織にしじんおり」は、京都府京都市の北西部に位置する上京区から北区にわたる西陣地域で生産される絹織物です。

京都の絹織物の歴史はとても長く、その伝統の始まりは古墳時代とも伝えられています。

室町時代、応仁の乱により京都の町は荒れ果ててしまいますが、戦が治まったのを機に、避難していた織物職人たちがまた集まるようになり織物業を再開。

応仁の乱の際に船岡山(現在の京都市北区)に西軍の陣が置かれていたことから、その跡地一帯を“西陣にしじん”と呼ぶようになり、そこで作られる織物を「西陣織」と呼ぶようになりました。

西陣織は、先染めした多色の糸を使用した豪華絢爛ごうかけんらんな模様が魅力です。

織り技法は、つむぎつづれ経錦たてにしき緯錦ぬきにしき(よこにしき)、緞子どんす朱珍しゅちん風通ふうつう紹巴しょうはもじおりほんしぼおり絣織かすりおり、ビロードと12種類にも及び、多種多様な品を少量ずつ確かな技術で生産しています。

西陣織を使った着物や帯といった伝統的な製品は現在でも作られ続けており、舞妓さんの“だらりの帯”などでも見かけられます。

現在は財布やネクタイ、バッグに椅子や壁紙といったインテリア製品のほか、自動車の内装材にも採用されたりと、伝統を守りつつ現代の生活にも取り入れることができる作品が作られています。

品名西陣織
よみにしじんおり
工芸品の分類織物
指定年月日昭和51年(1976年)2月26日


西陣織についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

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京鹿の子絞

京鹿の子絞きょうかのこしぼり」は、京都市や亀岡市の他、綴喜郡つづきぐん井手町いでちょう、相楽郡の笠置町かさぎちょう和束町わづかちょうなど京都府内で生産される、絹地の絞り染めです。

“絞り染め”とは、糸で生地をくくる(絞る)ことで生じる染め残りを模様とする染色技法で、染め残りの白い模様が子鹿の背にある斑点に似ていることから“鹿の子絞”と呼ばれるようになりました。

江戸時代、京の地で手掛けられた鹿の子は“京鹿の子”と呼ばれるようになり、黄金期を迎えます。

鹿の子絞りにはいくつもの技法が存在しますが、布目に対し斜めに鹿の子の目を隙間なく詰める疋田絞ひったしぼりは、絞り技術の最高峰とも称される京鹿の子絞の代表的かつ高度な技法で、細かな図柄を表現する一目絞ひとめしぼりなどとともに、京鹿の子絞の特徴とも言うべき模様の精緻さや独特の立体感を生み出します。

布地を指先でつまみ、絹糸を使って絞り目を一粒一粒、丹念に括る作業はもちろんすべてが手作業です。

作業中にはパチン!パチン!と、高めの音が鳴り響きます。

初心者は1粒括るだけでも四苦八苦するのですが、熟練者の手にかかれば1日に約800~1200粒も括れるのだとか。

なお、着物一反分で括る粒の数は約12万~約20万粒、振り袖ともなると30万粒にのぼることもあり、着物が出来上がるまでには数ヶ月~2年以上かかることもあります。

京鹿の子絞は主に着物地や帯揚おびあげに利用されるほか、近年ではハンカチや手ぬぐい、エコバッグなどの雑貨も作られています。

品名京鹿の子絞
よみきょうかのこしぼり
工芸品の分類染色品
指定年月日昭和51年(1976年)2月26日


京仏具

京仏具きょうぶつぐ」は、京都市・宇治市・亀岡市・南丹市・城陽市・向日市・長岡京市・木津川市といった、主に京都府の中部~南部の地域で作られている仏具です。

京都における仏具の製作は、平安時代に始まったと考えられており、長い歴史と伝統を誇ります。

古くから多くの宗派の寺院を擁する京都では、各宗派の様式に合った仏具が必要とされ、専門の職人たちが高度な技術を磨いてきました。

京仏具には、木地・木彫きぼり・漆塗・蝋色ろいろ蒔絵まきえ彩色さいしき・純金箔押・錺金具かざりかなぐ・金属・仏像彫刻などの各工程それぞれに専門の職人がいます。

多彩で高度な分業の技術によって作られる高品質な京仏具は、寺院用と家庭用があり、全国の寺院用仏具の約80%が京都で作られています。

品名京仏具
よみきょうぶつぐ
工芸品の分類仏壇・仏具
指定年月日昭和51年(1976年)2月26日


京都の仏壇・仏具店「若林佛具製作所」のYoutubeチャンネルでは、京仏具の制作工程やお寺への搬入作業を動画で紹介しています♪

京仏壇

京仏壇きょうぶつだん」は【京仏具】と同じく、京都府中部~南部の地域(京都市・宇治市・亀岡市・南丹市・城陽市・向日市・長岡京市・木津川市)で製造される、木地に漆を塗り、金箔や金粉を施したきん仏壇です。

箔や蒔絵を施したきらびやかな装飾による美しさと、専門職人の分業によって実現される品質の高さが大きな特徴です。

各宗派の総本山の本堂をそのまま再現したかのような精巧な造りの京仏壇は、その多くが寺院用とされてきましたが、現在は一般家庭用の京仏壇も作られています。

2,000にものぼる部品を要する京仏壇の製作には、40以上の職種が関わります。

京仏具と同じく、木地・木彫刻・漆塗・蝋色ろいろ・純金箔押・蒔絵・彩色さいしき錺金具かざりかなぐなどの工程があり、さらに京仏壇には“屋根”総合組立そうごうくみたてが加わるのですが、各職人には高度な技術に加え、宗派ごとに異なる法式などの深い造詣が求められます。

品名京仏壇
よみきょうぶつだん
工芸品の分類仏壇・仏具
指定年月日昭和51年(1976年) 2月26日


京漆器

京漆器きょうしっき」は京都御所のある京都府京都市で作られる漆器で、“京塗きょうぬり”や“京蒔絵きょうまきえ”とも呼ばれます。

京漆器の製作工程は、大きく、木地作り・塗り・加飾かしょくの3つに分けられ、それぞれ木地師、塗師、蒔絵師といった各工程のプロフェッショナルたちによる分業制で作られます。

加飾の工程では、漆で絵や文字などを描いた上から金粉・銀分を蒔いて仕上げる蒔絵、アワビ・夜光貝・白蝶・黒蝶などの貝片の独特な輝きを用いて模様を表現する螺鈿らでんや青貝といった技法を駆使し、京漆器ならではの“はんなり”とした雰囲気を演出します。

長い歴史の中で、各時代の風潮を反映した作品が数多く生み出されてきた京漆器は、特に茶の湯文化とも結びつきの強い“わび・さび”のおもむきを備えている点が特徴です。

優雅で洗練されたデザインも大きな魅力であり、高級品として愛されています。


※はんなり:京都を中心とした関西地方で用いられる言葉で、上品で気品がある、落ち着いたさま。また明るく華やかなさま。

品名京漆器
よみきょうしっき
工芸品の分類漆器
指定年月日昭和51年(1976年)2月26日


京友禅

京友禅きょうゆうぜん」とは、絹地に筆で直接絵を描くように色を付けていく“友禅染め”という日本の代表的な染色技法を用いた染織品で、主に京都市のほか、宇治市、亀岡市、城陽市などの京都府南部地域で作られています。

江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)に、扇絵師の宮崎友禅みやざきゆうぜん宮崎友禅斎みやざきゆうぜんさい)が考案したと言われています。

京友禅は多色使いの鮮やかな色彩と、金銀箔や金糸刺繍(【京繍】)を用いた仕上げによる豪華絢爛さが特徴で、宮中や公家向けの格式ある文様なども取り入れられてきました。

その華やかさから、着物の中でも特に、振袖や留袖とめそで、訪問着などハレの礼装に利用されています。

なお、京友禅の染めの技法には、

●すべての工程が手作業で行われ高い技術が求められる、伝統的かつ最も手間と時間のかかる“手描き友禅(本友禅)”
●明治時代以降に考案された、型紙と色糊を用いて染める“型友禅(板染友禅)”
●機械を用いて継ぎ目なく均等に染め上げる機械捺染きかいなっせん
●図案をフォトショップやイラストレーターといった画像ソフトを使って描き、プリンターを用いて染めていく“デジタル染め”

などがあり、受け継がれてきた職人技と発達した技術との融合により、時代に合った新しい技法が今も生み出されています。

また、令和4年(2022年)には、国が認定する“日本インド国交樹立 70 周年記念事業”の一環として、京友禅の技法を用いて作られたインドの民族衣装『京友禅サリー』が制作されるなど、国境を超えた取り組みも行われています。

品名京友禅
よみきょうゆうぜん
工芸品の分類染色品
指定年月日昭和51年(1976 年)6月2日


京友禅についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

京小紋

京小紋きょうこもん」は、【京友禅】と並んで京都の染色文化を象徴する染織品です。

“型染め”という、模様を彫り抜いた型紙と糊を使って模様を染め出す技法を用いて絹織物を染めたもので、主に京都市や宇治市、亀岡市といった京都府南部の地域で作られています。

京友禅の技法である“型友禅”とほぼ同じ工程で作られる京小紋は、華やかな京友禅と比べると、雅で落ちついた渋い雰囲気であることが特徴です。

かつては模様(柄)の大きさの違いで小紋・中紋・大紋と分けられていましたが、今ではすべてが“小紋”と呼ばれるようになり、細かな模様を繰り返すものだけでなく、大胆な柄のものも見られます。

細かい型染めの技法は、もとは武具や武士の衣類に用いられたものですが、江戸時代に庶民の間にも広がります。

最初は単色が中心でしたが、明治時代以降、化学染料の普及もあり、京小紋は京友禅と影響し合う中で、彩色に変化していくようになりました。

現代では着物や帯だけでなく、風呂敷やバッグ、ネクタイなどの日用品にも活用されています。

品名京小紋
よみきょうこもん
工芸品の分類染色品
指定年月日昭和51年(1976 年)6月2日


京指物

京指物きょうさしもの」は、京都府京都市で作られる木工品です。

“指物”とは、金属の釘を一切使わずに木と木を組み合わせたほぞぎ(ほぞぎ)という技法を用いて作られた家具や調度品などの総称です。

京指物のはじまりは平安時代だといわれており、当初は大工が作っていましたが、室町時代以降には指物を専門とする“指物師”が誕生します。

後に、最盛期をむかえた茶道文化の中で、京指物が茶道具の一部に用いられるようになり、さらなる発展を遂げていきました。

貴族や宮廷・公家文化に端を発している京指物は、キリ・スギ・クワ・サクラといった木の素地を活かしつつも、漆による絵付けや蒔絵、螺鈿らでんなどの装飾により、上品な華やかさを演出した作品が多いことが特徴です。

令和3年(2021年)には、“with コロナを美しく暮らす生活道具”として、換気できる空間に持ち出せるようコンパクトな『持ち運べるダイニング茶箱』が発売されるなど、時代に則した商品開発が行われています。

品名京指物
よみきょうさしもの
工芸品の分類木工品・竹工品
指定年月日昭和51年(1976 年)6月2日


京繍

京繍きょうぬい」とは、金銀を含めた多色の糸を利用し、一針一針手作業で着物などの生地に加飾する伝統的な刺繍のことです。

平安建都にともない、京の都に刺繍の職人をかかえる“縫部司ぬいべのつかさ”という役所が置かれたことから京繍が誕生したといわれており、現在では主に京都府の京都市や宇治市で生産されています。

京繍の特徴は、角度が変わるたびに上品に煌めく糸の光沢の華麗さと、その繊細な仕上がりです。

光に反射した糸とその色合いは、まさに“糸で描く絵画”のよう。

また、他の工芸品とも調和しながら着物文化を華やかに彩ってきた京繍は、祇園祭の水引幕といった文化財の製作・復元にも一役を買っています。

品名京繍
よみきょうぬい
工芸品の分類その他繊維製品
指定年月日昭和51年(1976 年)12月15日


京くみひも

きょうくみひも」は京都府京都市や宇治市などを産地とする、細い糸を組み上げて作る“組紐くみひも”です。

京くみひもは平安時代に誕生し、皇族や貴族階級向けの装飾や調度品、神具・仏具、武士の鎧兜よろいかぶとなど、幅広く活用されました。

室町時代には茶道具、江戸時代には羽織紐と、時代の変遷とともにさまざまな製品が作られてきました。

丸台まるだい角台かくだい綾竹台あやたけだい高台たかだいといった道具を使用して、絹糸や金銀糸などを組み上げる技法は3500種類にも及び、基本の組み方だけでも40種類以上あるといわれます。

複雑かつ繊細な組み上げによって生まれる、京都らしく優美で趣のある作風が特徴です。

帯締めなどの和装道具に多く用いられる京くみひもですが、現代ではバッグやマスクに付けられるチャーム、ブレスレットといったアクセサリー、ペット用の首輪など新しい作品も登場しています。

品名京くみひも
よみきょうくみひも
工芸品の分類その他繊維製品
指定年月日昭和51年(1976 年) 12月15日


京焼・清水焼

京焼きょうやき清水焼きよみずやき」は、京都市とその周辺地域(京都府内)で生産されている陶磁器(焼き物)全般の総称です。

ただし、“楽焼らくやき”という手とヘラだけで成形した焼き物は「京焼・清水焼」には含まれません。

安土桃山時代、茶道文化の隆盛により貴族・大名などの上流階級や茶人などからの需要が高まり、全国各地の優秀な陶工たちが文化の中心地となる京の都に集まるようになります。

江戸時代初期には、粟田焼あわたやき粟田口焼あわたぐちやき)・八坂焼・御菩薩焼みぞろやき押小路焼おしこうじやき・清水焼・御室焼おむろやき修学院焼しゅがくいんやき……など、開かれた窯場の地名から名付けられた、さまざまな陶器(焼き物)が作られ、これらは“京焼”と呼ばれていました。

その後、閉じる窯も多い中、清水焼は著しく発展し、京焼の代表格になります。

今では、京都市東山区・山科区の清水焼団地や宇治市で生産される陶磁器(焼き物)を“清水焼”と称しています。

「京焼・清水焼」に特定の技法は定義されておらず、各窯(工房)で独自の釉薬ゆうやく(うわぐすり)を使うなど、形も表現も多様性に富んでいます。 


※釉薬:陶磁器の表面に施すガラス質の液。陶磁器を保護するとともに、色も付けることができる。

品名京焼・清水焼
よみきょうやき・きよみずやき
工芸品の分類陶磁器
指定年月日昭和52年(1977 年)3月20日


京扇子

京扇子きょうせんす」とは、京都を中心に作られる扇子で、現在では京都扇子団扇きょうとせんすうちわ商工協同組合の登録商標となっています。

京扇子が誕生したのは平安時代初期で、その頃は“木簡もっかん”という短冊状の木の板を何枚か繋げたものだったとされています。

竹を使って扇子の骨づくりをする骨屋さん、扇面型の紙を作る紙屋さん、紙に絵付けをする絵付け屋さん、絵付け後の紙を蛇腹じゃばらに折っていく折り屋さんなど、卓越した技術を持つ職人たちにより、分業化された87もの制作工程を経て完成します。

夏に涼を取るための夏扇子はもちろんのこと、舞踊や能楽に使われる舞扇子まいせんす、飾り物としての飾扇子かざりせんすなど種類は多岐にわたり、日本文化に欠かせない工芸品です。

品名京扇子
よみきょうせんす
工芸品の分類その他の工芸品
指定年月日昭和52年(1977年)10月14日


京扇子について、より詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

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京うちわ

きょううちわ」は京都府京都市や南丹市で作られるうちわで、別名を“都うちわ”・“御所うちわ”ともいい、【京扇子】同様、京都扇子団扇商工協同組合に商標登録されています。

京うちわのルーツは、南北朝時代に日本に伝わってきた朝鮮団扇ちょうせんうちわであるとされ、江戸時代には現在のような京うちわ特有の、うちわの面と柄が別々に作られる(挿し柄)構造になりました。

京うちわは、上部の骨となる竹ひご(竹骨)の本数が多いほどに高級品とされています。

通常は50本ですが、100本の竹骨が使われた京うちわは“100立ひゃくだて”と呼ばれ、飾りうちわとして人気があります。

京うちわは丸型・角型・長柄肩・羽子板型・扇型・千鳥型と形も数種類あり、うちわ面の和紙には人物・風景・俳句・和歌をモチーフにした美しい絵が描かれたり、透かしが施されたりと、美術工芸品としても愛されています。

また、現在では、ランプシェードといったモダンな商品にも京うちわの技法が用いられるなど、新たな商品開発も進んでいます。

品名京うちわ
よみきょううちわ
工芸品の分類その他の工芸品
指定年月日昭和52年(1977年)10月14日


京黒紋付染

京黒紋付染きょうくろもんつきぞめ」は、主に京都府京都市や亀岡市で生産される、絹織物を上品で深みのある黒に染め上げ、家紋を付けた染色品です。

黒染めの始まりは平安時代ですが、黒紋付染として確立したのは江戸時代とされており、ビンロウというヤシ科の熱帯植物を染料とした“檳榔子染びんろうじぞめ”という技法を用いた黒紋付は、刀を通さないほどに絹地を丈夫にするとされ、武士たちに愛されました。

京黒紋付染の製作工程では、伝統工芸士たちの手により、各工程で先人たちの編み出した至高の技が光ります。

まず、検品を済ませた絹地に紋の位置に印を付け(墨打ち)、紋が入る部分に防染を施し紋章糊置もんしょうのりおき、その生地を染屋で下染め・黒染めした後に水で不要な染料を洗い落とし乾燥させ、紋部分の染料のにじみや汚れを取り除く紋洗いをしてから、家紋などの紋章を描き入れます(紋章上絵)

家紋の種類はなんと、8万種類以上あるのだとか!

多くは和服の最礼装である黒紋付や、黒留袖くろとめそで、葬儀で着用する喪服など冠婚葬祭の衣装に用いられてきましたが、近年ではその染め技術を活かし、シミや汚れで着られなくなった衣類を黒く染めなおしアップサイクルするプロジェクトで注目を集めています。

品名京黒紋付染
よみきょうくろもんつきぞめ
工芸品の分類染色品
指定年月日昭和54年(1979年)8月3日


京石工芸品

京石工芸品きょういしこうげいひん」とは、京都市・亀岡市・向日市・八幡市などの京都府南部地域で生産される石工品せっこうひん貴石細工きせきざいくです。

奈良時代後期に仏教が伝わったことで始まったとされる石造文化は、平安建都へいあんけんとを機に、大内裏だいだいりや寺院の建設で石工品の需要が高まったことで大きく発展します。

その後も仏教の隆盛や茶道の流行にともない、石仏・石灯籠・挽臼といった、さまざまな京石工芸品が生み出されるようになりました。

現在でも日本庭園や迎賓館などに数々の京石工芸品が残されており、名品は“本歌ほんか”と呼ばれ、模作品が作られています。

京都市左京区に位置する比叡山から大文字山にかけての北白川きたしらかわ・白川の里で採れる、黒雲母くろうんも花崗岩の“白川石”は品質が高く、幻の銘石と呼ばれ長く京都の石造りを支えてきました。

京石工芸品の製造工程は作品ごとに異なりますが、大きく原石加工・成型・彫刻・仕上げに分けられ、その全ての工程を一人の石工いしくが担います。

はいから・のみ・つち・刃びしゃん・打出しといった工具と、受け継がれた技法を駆使し、培われた経験を活かしながら “侘び”や静寂を醸し出しながらも存在感のある、角のない柔らかな温もりが感じられる洗練された作品づくりがなされています。

品名京石工芸品
よみきょういしこうげいひん
工芸品の分類石工品
指定年月日昭和57年(1982年)3月5日


京人形

京人形きょうにんぎょう」とは、京都府京都市周辺で作られる日本人形です。

平安時代に貴族の子供たちが遊んだ“ひいな人形”が京人形の原型と考えられており、現在の京人形には主流製品である雛人形や五月人形をはじめ、浮世人形や御所人形、市松人形、風俗人形といった種類があります。

頭(頭師かしらし)・髪付(髪付師)・手足(手足師)・小道具(小道具師)・着付け(胴着付師)などの部位ごとに専門の職人が分業して製作することで、上質で品の良い京人形が出来上がります。

京人形の中でも、特に人気がある桃の節句で飾られる雛人形。

西洋化が進んだ明治時代以降、一般的には雛人形も“左がお内裏さま・右がお雛さま”という西洋式の飾り方になりましたが、京都では“左にお雛さま、右にお内裏さま”が(上の画像のように)飾られます。

一説には、“天子南面てんしなんめんす”という言葉の思想に則った、京都御所の紫宸殿ししんでん(ししいでん)の即位式に由来するとされ、『御上(天皇)は常に北を背にして南を向かれ、上座である太陽が昇る東(右)側にお座りになられる』という、習わしが受け継がれているからなのだとか。


紫宸殿ししんでん(ししいでん):京都御所の正殿。天皇の元服・立太子礼・即位・節会といった儀式や朝賀などの公事が行われたところ。

品名京人形
よみきょうにんぎょう
工芸品の分類人形・こけし
指定年月日昭和61年(1986 年)3月2日


京都の京人形師「平安雛幸」のYoutubeチャンネルでは、京人形の制作工程を動画で紹介しています♪

京表具

京表具きょうひょうぐ」は、京都府京都市などで生産される表具です。

“表具”とは、書画に布地や紙を貼り合わせて鑑賞したり補強するために仕立てたもののことで、掛軸や屏風、襖、障子などのことを言い、“表装ひょうそう”とも呼ばれます。

表具の技術は、平安時代に仏教とともに中国から伝わったとされ、京都盆地の高湿度で風が弱いという風土が表具作りに適していたことや、とこができたこと、そして茶道の流行にともない、京表具の需要が高まり発展していきました。

現在、歴史的文化財や古美術の修復作業において、京表具師は欠かすことができません。

紙についたシミや虫に喰われた跡、紙の劣化などによって生じた亀裂や横折れなどで傷んだ掛軸や屏風といった表具を、作られた当時のものに近づけるために、京表具師の技術をもって修復作業に挑みます。

修復作業は、一歩間違えれば作品のメインとなる“本紙”を台無しにしてしまう、まさに取り返しがつかないという緊張感の中、寸分の狂いも許されない、非常に繊細で神経を使う作業の連続です。

修復に最善な技法、材料の調合具合などには、職人の培われた感覚やセンス、知識や経験が物を言います。

過去の作品を蘇らせ、そして未来に繋げる。

そんな京表具師の技術は、決して無くしてはならない日本の宝なのです。

品名京表具
よみきょうひょうぐ
工芸品の分類その他の工芸品
指定年月日平成9年(1997 年)5月14日