「東京銀器」は、国の伝統的工芸品に指定されている金属工芸品です。

銀を加工して作られる繊細で美しい作品は、洗練された雰囲気で多くの人々の人気を集めています。

今回は、東京銀器の世界で活躍する職人・亘理立わたりりゅうさんにお会いし、製作工程を見せて頂くと共に、その想いを伺いました。

伝統的工芸品とは?
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること

「東京銀器」とは?

東京銀器は、東京都で作られている工芸品です。

一枚の金属板を叩いて成形する鍛金たんきんや、表面に加飾を行う彫金ちょうきんなどの技法を利用して、食器や置物、装身具などさまざまな作品が作られています。

昭和54年(1979年)には、国の伝統的工芸品に指定されました。

江戸時代中期に、銀師しろがねしと呼ばれる銀器職人や金工師と呼ばれる飾り職人が作品を作りはじめたことが、東京銀器のはじまりと言われています。

慶応3年(1867年)に開催されたパリ万博では、日本の銀製品がその技術の高さで世界中の人々を驚愕させたそう。

これをきっかけに世界でも注目されるようになった東京銀器は、日本独自の発展を遂げていき、現在さまざまな作品が生み出されています。

伝統工芸士・亘理立とは?

今回取材させていただいた、亘理立わたりりゅうさんは、そんな東京銀器の伝統工芸士です。

高校卒業後に東浦銀器製作所に入社し、二代目・石黒光南いしぐろこうなんさんに師事し、修行を開始。

12年の実務経験を経て、平成19年(2007年)2月に伝統工芸士の資格を取得したのち、さまざまなコンクールで優秀な成績を収めました。

その後、平成24年(2012年)に独立して「光立工房」を創設し、現在は、主に鍛金の技法を使用した茶器や酒器、小物などを受注生産・販売しています。

東京銀器の製作工程

通常、銀器は分業制を取っているところが多く、形を作るヘラ絞り屋や、ロクロを使って銀を削る挽き物屋、研磨屋など、何人かの職人の手を渡って一つの作品を完成させます。

そんな中で、亘理さんは、銀板の加工からすべて自分の手で完成させる、数少ない職人だそう。

今回は、豊島区にある工房にお邪魔して、特別に製作工程を一部見せて頂きました!

きなまし

まずは、加工する銀板に火を入れて柔らかくする「焼きなまし」の作業からはじまります。

バーナーを使って銀板を炙り、水につけて冷ましたら、手で曲げられるほどの柔らかさになります。

銀板が柔らかい状態になったら、叩いて成形していく「鍛金たんきん」の作業に入っていきます。

使う道具は、成形用の金槌かなづちと当て金で、なんとこちら、9割が亘理さんの手作りだそうです!

100種類を超える道具の中から、その時作りたい作品に適したものを選んで使っていきます。

当て金に銀板を当てがい、上から金槌で叩いて銀板を絞っていきます。

狙った場所に金槌を的確に当てるのは、至難の業!

少しでもずれると、作品の形が歪んでしまいます。

銀板は叩くと硬くなるため、再度なまして柔らかくして叩く、という作業を繰り返して成形していきます。

ち出し

形が出来上がったら、いよいよあられの打ち出しです。

亘理さんは、細かな突起で現す霰模様を得意としているそうで、先の尖った当て金と、受けの形になっている細い型で挟んで叩くことで粒を出していきます。

こちらの写真の急須は、約1200粒の霰が打ち出されているそうです!

上げ

彫金の作業が終わったら、いよいよ「加飾」の工程です。

例えば、こちらの作品は、金古美仕上げを行ったもの。

金古美とは、職人それぞれが独自の配合で作った液体で、こちらの作品ではこの金古美により黒く色を付けています。

亘理立×Q&A

ここまで、東京銀器について歴史や製作工程を紹介しました。

ここからは、亘理立さんに、職人としての想いを伺った様子をお届けします!

京銀器職人になるまでの道のりを教えてください。

はじめは、そこまで大層な志があったわけではなかったんです(笑)

学力も大学に行く気もあまりなくて、ある日、親に進路を尋ねられた時に「自分で着けているアクセサリーを自分で作れたらいいな」と漠然と思ったのがきっかけです。

その後、色んなジュエリー会社に見学に行ったんですけど、工業高校に通っていたので機械を使う仕事はもうやりたくなくて…。

色々回った結果、出会ったのが入社した東浦銀器製作所だったんですよね。

畳の上でおじいさんがカンカンと銀を叩いている様子が当時とても印象的で、「ここだったらいいかも!」とはじめて思えたので、頼み込んで入社することになりました。

今でも覚えているのが、毎日修行を終えて家に帰るとき、師匠が「明日も来いよ」って一声かけてくれるんです。

やってみたらとても楽しかったので辞める気もなかったんですけど、そういう一言も含めて、優しく、時に厳しく教えてくれていました。

最初は、周りの友人が大学を卒業するまでの4年間続けてみようって思っていたのが、どんどん期間が伸びに伸びて、今まで続けられていますね。

りがいを感じるのはどういう瞬間ですか?

自分が作ったものが、実際に形として残っていくっていうことが、とても嬉しいですね。

あとは、数ある中で自分のものを選んで買ってくれているということに、ある意味奇跡のような感覚を覚えていて、今でもお客様から購入があるたびに感動してしまいます。

れられない経験はありますか?

商品を置いているお店に、中国からのお客様がやってきて、「人間国宝の作品と光立の作品が見たい」と言ってくれたという話を聞いた時は、すごく嬉しかったです。

僕の作品は中国の方がよく見てくれているようで、普段も中国からの受注が多くて。

人間国宝はわかるけど、まさか僕の作品が!?なんて思って、よく覚えていますね。

事をする上で心がけていることは?

昔読んだ新聞記事で、山奥で仏師をしている人が言っていた言葉があって。

「きちんとした仕事ができていたら、山の上でも仕事が来る」という言葉なんですけど。

それを読んで、自分もそうなりたいと思って、誰にも負けないという気持ちで、毎日丁寧な仕事を心がけています。

代の変化に合わせて工夫していることはありますか?

現代の方たちの生活や好みに合ったデザインは、もちろん色々考えています。

首にかけられて災害時にも役立つホイッスルなんかは、度々注文があります。

ただ新しいだけではなくて、現代的なデザインながらも昔の良さも併せて感じて頂けるような作品を作るようにしています。

わかりやすいもので言うと、この品物ですかね。

これは、現代的なデザインになるように工夫した品物です。

日本人の知恵を残した作品になっていて、床下収納の取っ手を参考に、蓋の部分を作っています。

インタビューを終えて

とにかく丁寧な仕事を心がけているという亘理さん。

急須を得意とされており、急須で使う中のパーツやネジまでも、自分で製作されているという事実に衝撃を受けました。

今回のインタビューで、亘理さんは、

「東京銀器は、他の工芸品に比べてお値段も張るので、身近なものとは言い難いかもしれないけど、その分丁寧な仕事をして、孫の代まで長く残るものであってほしい。」

と仰っていました。

多少高価であっても、正しい製法・丁寧につくられた“良いもの”を残していく。

伝統工芸品というものを正しく継承していくためには、こういった心がけが必要不可欠なのだな、と感じると共に、私も正しい情報を残していくため、丁寧な記事を作り続けたいと改めて思うことができました。

亘理立氏の略歴

昭和50年    東京で生まれる

平成5年      東浦銀器製作所に入社し、二代目・石黒光南氏に師事

平成9年      第5回全日本金・銀創作展 入賞

平成12年    東京都青年優秀技能賞

平成19年2月 東京銀器 伝統工芸士(造形部門)の資格を取得

同年3月      東京都から感謝状を受ける

同年9月      関東伝統工芸作品コンクール 入賞

同年12月    第32回全国伝統的工芸品コンクール 入選

平成24年4月 東浦銀器製作所から独立・光立工房を創設