令和6年(2024年)1月1日、能登半島を襲った地震。

多くの建物が地震や火事によって崩れ、古き良き街並みが一変、大変な被害を受けました。

今回は、そんな能登半島地震で被災した伝統工芸品販売の老舗「漆陶舗うるしとうほあらき」の女将・新城礼子あらきれいこさんに独占インタビュー。

お店や復興への想い、読者に伝えたいことを伺いました。

漆陶舗あらきとは?

「漆陶舗あらき」は、嘉永年間に創業した、石川県七尾市で漆器や陶器を販売し続ける伝統工芸品の専門店です。

創業当初は輪島塗を専門に行商を行っていましたが、昭和初期からは、世の中のニーズに合わせ、九谷焼や山中塗も販売を開始。

「麗しい心づくしを重ね合わせて」をモットーに、漆陶舗あらきを通して漆器や陶器に贈る人の想いを込め、相手に伝えるお手伝いをしたいと、日々運営しているそうです。

店舗販売のほか、オンラインでの販売も行っており、一つひとつ新城さんのその目で確かめて選び抜いた石川県の“いいもの”を、全国の方に届けています。

また、店舗では、漆器の技法の一つである沈金体験も開設。

能登の伝統の奥深さを感じられる体験は、日本人だけでなく海外からの観光客にも大変人気なのだとか。

新城礼子×Q&A

ここからは、そんな漆陶舗あらきを運営されている新城礼子さんにインタビューした様子をお届けします。

りがいを感じる瞬間は?

新城さん

やはり、お客様に喜んでいただけたとき、が1番ですね。

その中でも、以前結婚式の引き出物に選んでいただいた方から、今度は赤ちゃんが産まれるのでその内祝いに、その子の入学祝いのお返しに、のように、人生の節目をあらきと共に過ごして下さる方もいらっしゃって。

そういうお客様がいてくださることが、何よりのやりがいだなと、本当にありがたく思っています。

にお気に入りの商品はなんですか?

新城さん

“片口”ですね。

注ぎ口のついた器のことで、本来は汁物を注ぐための器として使われているのですが、私はあえて片口の器を盛り鉢や小鉢として使うのが好きです。

ただの器に少し出っ張りがあるというだけで、器に表情が出て、食卓に華やぎを与えてくれるんですよね。

食卓に彩りがあって賑やかになるって、素敵じゃないですか。

なので、自然と仕入れるものも片口が多くなってしまったり、お客様にオススメするのも片口が多かったりします(笑)

や漆器を使っていない方にオススメしたいポイントは?

新城さん

輪島塗や山中塗など、お持ちですか?とお聞きすると、意外と持っていらっしゃるのですが、家にはあるけど使っていないという方が多いんです。

日本の伝統工芸品は、やはり“使える”工芸品であることが良さの一つでもあるので、ぜひ使ってください!と声を大にして言いたいですね。

肌ざわりや口当たりなど、使ってはじめてわかる良さがたくさん秘められていますし、使うほどに育っていく工芸品でもあるので、ぜひ暮らしの中で日常的に使っていただきたいと思っています。

登半島地震が起こったときの状況を教えてください。

新城さん

当日は、家の台所にいました。

夜に娘家族が来る予定だったので、準備を終えて1人でくつろいでいた時でした。

2回目の揺れで身の危険を感じて、そのまま外に飛び出した後、大事なものだけでもなんとか取りに行こうと、お店に向かったのですが、電気が通っていなかったので日中でも真っ暗で。

1階のお店に入り、ドアを開けて一歩踏み出そうとしたら、そこにあるはずの床がなくて……何も見えなかったので危ないと思い、当日はお店の中の確認は諦めて避難しました。

翌日、2日の午後にお店に入ったのですが、商品の棚は倒れて器はほとんど割れてしまい、それはそれは無残な光景でした。

店内の床は隆起していて、高いところと低いところとで50cmくらいの差があったり、柱が天井を突き破っていたりして……。

街の様子も一変してしまって、崩れた家や砂埃が舞う景色を見た主人は、最初、“もう無理かな”と。

私もそれを受け入れて、お店を畳むつもりだったのですが、1週間くらい経った後ですかね。

主人が、“やっぱりやる”と言い出して。

同じ地域で仕事をしている若者たちからの、「絶対再建してやる!一緒に頑張りましょう!」という言葉に、励まされたのだと思います。

そこからは、解体作業をしたり仮店舗を借りたり、早かったですね。

在の稼働場所や稼働体制は?

新城さん

もともと店舗があった場所からも近い、旧十二銀行跡の建物を仮店舗として4月10日から運営を再開しています。

以前の建物からなんとか救い出せた商品たちもあったので、そういったものを展示販売しながら、9月からはようやく沈金体験も再開できて、お客様から好評をいただいています。

回の能登半島地震で、印象的だったことはありますか。

新城さん

地震後、クラウドファンディングをさせていただいていたのですが、実は最初は乗り気ではなくて……。

主人と話し合い、ただ支援を頂くだけでなく、こちらからもしっかりとした返礼品を付けた上で支援を仰ぐ、という形ではじめました。

クラウドファンディングを進めていく中で、人との繋がりの尊さみたいなものを感じましたね。

熊本地震や東日本大震災で被災された方や、周りの友人、知り合いなど、励ましの言葉を次々とくださって、本当に勇気づけられましたし、頑張る理由にもなっていました。

興に向け、新たなチャレンジもされているのだとか。

新城さん

復興って元に戻すこと、だと思われがちなのですが、個人的には、今まで通りの商売のやり方に戻すだけでは復興は難しいと思っています。

観光客の数も、お店の数も、今回のことでガクンと落ちました。

ですので、今私たちは、再建するお店の形態を変えてみよう、と思っています。

まだアイデアベースではありますが、飲食ができるスペースを作って、漆器や陶器の魅力を使って感じられるようにしたり、沈金体験とランチセットのコースを作ってみたり。

その時その時のお客様のニーズを探し出して、寄り添いながら新しいことにチャレンジしていきたいです。

在の目標や未来への展望を教えてください。

新城さん

やはり1番は、“再建すること”が、目標にすべきものだと思っています。

ただ、商店街は、一つのお店だけでは成り立ちません。

また、うちのお店だけが復興したからと言って、以前の能登の活気が戻るとも思えません。

能登や商店街が復興していくには、私たちの力だけでなく、若い方の力も借りて、全員で街づくりをしながら、前に進んでいけたらな、と思っています。

者の方に伝えたいこと

新城さん

今回の地震で、どうしても能登を離れなきゃいけない状況になった方も多くいらっしゃいます。

ただ、その中で、ここに残って能登で暮らし続けることを選択された方もたくさんいらっしゃって、もちろん生きていかなきゃいけないんですよね。

みんな今できることをしながら、毎日必死に生きています。

皆さんには、“能登は生きている”ということをぜひ忘れないでいただきたいです。

心のどこかで、能登のことをたまに思い出していただけたら、ありがたいなと思います。

取材を終えて

今回のお話では、新城さんが周りの方やお客様に助けてもらったことへの感謝を繰り返し仰っていたことが印象的でした。

素晴らしい伝統工芸品を残すためには、人と人とのつながりがとても大切なのだなと感じ、私もこういった現状を読者の方に伝え続けることで、そのお手伝いがしたい、と強く思いました。

また、震災以前の状況に戻すことを第一に考えるのではなく、これから先の地元のことまで考えて動かれている新城さんの姿に、大変感銘を受けました。

能登の人々は、毎日前を向いて未来を見て生きています。

皆様も、ぜひ一度能登に訪れて、色々なものを見てみてください。

きっと、何か気づきを得られるはずです。

新城礼子氏(漆陶舗あらき)の略歴

昭和55年(1980年)に株式会社資生堂入社。

結婚を機に退社した後、家業である漆陶舗あらきに入社。

先代女将より女将業を学びながらHPの構築とネットショップ運営を担当。

17年前の能登地震を経験後、体験型の観光を取り入れるため沈金体験教室を開設。

平成23年(2011年)に8代目女将となる。

震災後は一つでも多くの輪島塗を全国の皆さんにお届けできるようにと日々奮闘中。