日本の首都である東京都。
慶長8年(1603年)に徳川家康が江戸幕府を開いて以来、政治や経済、文化の中心地として発展していき、現在、人口は日本一となっています。
都内各地には、東京タワーや東京スカイツリー、東京ドーム、浅草寺といった商業施設や名所が数多くあり、国内からだけでなく、海外からも観光客が訪れます。
また、世界自然遺産に登録された小笠原諸島も東京都に属します。
そんな東京都では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、40品目以上の伝統工芸品が存在します。
この記事では、その中でも経済産業大臣によって東京都の「伝統的工芸品」として指定されている村山大島紬、東京染小紋、江戸木目込人形、東京銀器、東京手描友禅、多摩織、江戸切子、江戸硝子など17品目をご紹介します。
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること
本記事の内容は、令和3年(2021年)12月時点のものです。
掲載内容は変更していることもありますので、ご留意ください。
村山大島紬
「村山大島紬」は、江戸時代から木綿の織物が盛んだった東京都武蔵村山市とその周辺で作られている絹織物です。
地元の“村山紺絣”や“砂川太織”の技術を統合し、大正時代に群馬県伊勢崎市から伝わった“板締染色”を使い、村山大島紬として生産されるようになりました。
その最大の特徴は、文様を彫った板を使う“板締め”という技法を用いて糸を染めあげることです。
この染色方法は糸に負担がかかりにくいため、艶とハリのある生地が出来上がります。
鹿児島県奄美群島の伝統的工芸品である本場大島紬と似た着心地ながらリーズナブルであり、落ち着いた模様や色合いで幅広い年齢層から愛用されています。
東京染小紋
「東京染小紋」は、型紙を使って非常に細かい文様を無数に染めた染織物で、遠くから見ると無地に見え、近くで見ると細かな柄に気づく、江戸っ子の粋の世界を表現しています。
東京染小紋に用いられる型染は室町時代から伝わり、江戸時代に武士たちが正装である裃に特定の小紋を家のシンボルとして染め入れたことから普及し、町人の間にも広がっていきました。
型紙を繋いで、わずか数mmの小紋を寸分の狂いなく染めていく熟練の技が光ります。
シンプルながら気品のある模様の着物で小粋な着こなしが楽しめるほか、ネクタイやストールなどにもこの染めが使われています。
本場黄八丈
「本場黄八丈」は、伊豆諸島の火山島である八丈島の風土と職人の技から生み出された絹織物で、黄色・樺色(赤みがかった黄色)・黒色の3色のみ。
この3色だけを使って、手織りで縞や格子模様に織り上げます。
島に自生する植物を使った天然染料で丁寧に染めるため、独特の光沢があり、艶やかで華やか、かつ変色しにくく、洗うたびに色が冴えていくのが魅力です。
本場黄八丈の歴史は古く、平安時代に誕生した当初は、黄色のみの八丈※の絹織物(八丈絹)だったため“黄八丈 ”と呼ばれました。
室町時代からは年貢代わりに納められ、江戸城の大奥などで使われていましたが、次第に一般の人々の間にも普及し、現在も訪問着から普段着まで幅広く使われています。
※八丈:長さの単位で一丈=十尺(約3.03m)、八丈は約24m。
江戸木目込人形
「江戸木目込人形」は、主に東京都や埼玉県で生産されている、胴体に溝を彫り、衣裳となる布地を溝に差し込んで作る人形です。
着物を差し込むことで皺や段差などを立体的に表現しているため、まるで人形が着物を着ているかのように見えます。
江戸木目込人形の原型は、江戸時代に京都の神社の神官が、余った柳の木で人形を作ったのがはじまりで、溝に布を“きめこむ”※ことから「木目込人形」と呼ばれるようになったといわれています。
江戸時代中期、江戸へやって来た京都の人形師により伝えられ、京都風に比べて目鼻立ちがくっきりした、江戸風の木目込人形として発展していきました。
木目込人形は自由度が高いことも特徴の一つで、今ではさまざまなスタイルに挑戦する新進気鋭の人形作家も登場しています。
※きめこむ:“極めこむ”と書き、“中に入るものが、入れ物に隙間なく、うまく合うように入れる”という意味。
こちらの記事では、伝統を守りつつ、先を見据えた作品に挑戦する職人をご紹介しています。
埼玉県越谷市に工房を構える柿沼人形。
1950年に東京で創業し、二代目である父の柿沼東光氏が広さを求めて埼玉に工房を移した。東京都の伝統工芸品「江戸木目込み」の技法を使い、主に節句人形を製造している。伝統を守りつつ、10年20年先を見据えた他にない唯一のものを作ろうと、本物志向で挑戦を続けている。
東京銀器
「東京銀器」は江戸時代から伝わる伝統工芸の一つで、食器や置物、アクセサリー、銀杯など、高純度の銀からさまざまな銀製品が作られています。
江戸時代中期に銀師と呼ばれる銀器職人や飾り職人と呼ばれる金工師が登場し、多彩な作品を作りはじめたのが東京銀器の原型です。
技法には銀の地金を叩いて金属の形を変えていく“鍛金”、金槌と鏨で模様を打ち出す、または彫る“彫金”、絵柄の部分を切り抜き、別の金属をはめ込む“切嵌”などがあります。
これらの技法を用いて作られる、洗練された精密な細工と、独特の優美な輝きで今も多くの人々を魅了しています。
以下の記事では、その輝きに魅せられた人と、ワゴコロ編集部員による東京銀器体験についてご紹介しています。
古くから愛されてきた銀器。
その歴史は古く、現在日本では東京が主要な産地となっている。
「東京銀器」は昭和54年に経済産業大臣より伝統的工芸品として指定され、台東区や荒川区を中心に、アクセサリーや日用品など幅広い銀製品が作られている。
東京都台東区浅草に工房を構える銀泉いづみけんもその一つだ。
ワゴコロ編集部による、東京都台東区浅草にある「銀泉いづみけん」さんでの“東京銀器のバングル作り体験”レポートです。
東京手描友禅
「東京手描友禅」は、型を使わずに、地色の染付から模様の縁取り、色付けまですべてを手描きで行う東京の伝統的な染物で、京都の“京友禅”、石川の“加賀友禅”とともに日本三大友禅の一つです。
東京友禅、江戸友禅とも呼ばれています。
江戸時代半ば、大名たちがお抱えの染師や絵師たちを江戸に呼び寄せたのがはじまりで、模様の輪郭を糊で描く“糸目友禅(本友禅)”、ロウを塗って防染する“ろうけつ染め(ろうけち染め)”、輪郭を描かない“無線描き”などの技法が発達していきました。
東京手描友禅は町人の粋の文化を受けて発達したため渋めの色合いで、すっきりしゃれたデザインが多くなっています。
基本的に一人の職人が一貫して手掛けるため、職人の個性が光る作品が多いのも特徴です。
こちらの記事では、平成30年(2018年)に東京手描友禅の伝統工芸士の資格を取得した若き職人について紹介しています。
東京都新宿区高田馬場に東京手描友禅のアトリエを構える小倉染芸。
格調高く、深い色合いの作品が特徴である。
取材させていただいた隆氏の師匠である父の貞右(ていゆう)氏は、多数の賞を受賞し、上皇后美智子妃殿下の訪問着を作った経験もある。
この度は、平成30年に伝統工芸士を取得した3代目の小倉隆氏にお話を伺った。
多摩織
「多摩織」は、現在の東京都八王子市周辺で伝統の技法を使って生産される、“御召”、“風通”、“紬”、“もじり織”、“変わり綴”という5品種の絹織物の総称です。
八王子はかつて、桑の都(桑都)と呼ばれるほど養蚕が盛んで、室町時代には北条氏が織物を産業として奨励し、江戸時代には八王子織物へと発展。
江戸時代から明治時代にかけて一大生産地となりました。
渋めの色合いで軽く、シワになりにくいことから実用的な織物として親しまれましたが、最近では洗練された現代風の製品も作られています。
江戸和竿
「江戸和竿」は、東京を中心に関東地方で作られている天然の竹を使った釣り竿です。
海や河川に恵まれて釣りをする人が多かった江戸では、季節や魚に合わせた竿が求められ、天明8年(1788年)に開業した「泰地屋東作」が江戸和竿のはじまりだといわれています。
江戸和竿は何種類もの竹をつないで作る“継竿”のため、1本1本オーダーメイドで魚や釣り方に合わせた最適な釣り竿を作ることができます。
自然な撓りが生まれる竹製の継竿は、魚の食いつきがよく、メンテナンスも簡単で丈夫で長持ちする実用性に優れているのも人気の理由。
仕上げに施された天然の漆塗りの美しさから、工芸品としても愛されています。
江戸指物
“指物”とは、釘を使わず板を組み合わせて造られる、木工家具や調度品を指します。
「物差しで測る」「板を指し合わせる」ことが指物の名前の由来とされています。
指物は平安時代の京指物がルーツですが、江戸時代に徳川幕府が全国から職人を呼び集め、その仕事が細分化する中で、「江戸指物」が誕生しました。
江戸指物は釘を使わず、板材に“ほぞ”と呼ばれる凸凹を彫り込んで組み合わせて造ります。
ほぞの組み手や継ぎ手が外から見えないように、いかにきれいに組めるかが職人の腕の見せ所、匠の技が光ります。
こうした技術を駆使した江戸指物は、桑や桐の木目の魅力を最大限に引き出したすっきりした美しさと丈夫な造りが特色です。
東京都台東区蔵前にある「茂上工芸」の江戸指物の職人・茂上豊さんの指導の下、“江戸指物の箸作り体験”をした記事も公開しているので、合わせてご覧ください。
東京都台東区蔵前にある「茂上工芸」さんでの“江戸指物の箸作り体験”レポートです!
江戸からかみ
「江戸からかみ」とは、襖や屏風などに貼る、装飾された和紙のことをいいます。
“からかみ”は“唐紙”とも書き、もともとは平安時代に唐(中国の王朝)から伝来したもので、仏教の経典や和歌を記した紙などを装飾したことにはじまり、中世以降に襖などに用いられるようになりました。
江戸からかみは、江戸時代に京都から技法が伝わりました。
“木版摺り”を基調としつつも型紙による“渋型捺染摺り”や、金銀で彩る“金銀砂子手蒔”など多様な様式が生まれ、さまざまな文様に彩られた洗練されたデザインへと発展しました。
優しいデザインと和紙の温もりが、部屋に落ち着いた佇まいをもたらしますよ。
現在は壁紙、照明器具、はがきや便箋など、生活のあらゆる場面で使われています。
江戸切子
“切子”とは、ガラスの表面を削って紋様を刻んでいくカットグラス技法やその紋様を指します。
「江戸切子」はその切子の技法で装飾したガラス工芸品で、現在ではグラスや花器など小物類からアート作品まで、幅広い製品が作られています。
江戸切子に使用される素材には、日常使いのソーダガラスと重量感のあるクリスタルガラスがあり、どちらも細かなカットが光を浴びて輝く美しさに魅了されます。
江戸時代後期に江戸のビードロ屋であった加賀屋久兵衛が、ガラスの表面に彫刻を施したが江戸切子の発祥とされています。
明治時代に西洋式のカット技術が導入されると、複雑な模様のカットも可能になり、さらなる発展を遂げていきました。
当初は無色透明のガラスでしたが、現在では青や赤など色ガラスをコーティングした“色被せ”製品も人気です。
江戸切子の輝きの魅力をもっと知りたいという方は、こちらの記事をどうぞ。
「江戸切子」とは、国および東京都が指定する伝統工芸品のひとつです。ガラスの表面を彫り、美しい紋様を刻んでいく技法(もしくは紋様そのもの)を指します。そもそも「切子」とはカットグラス技法を意味する言葉。そのため、「薩摩切子」や「切子工房」など、「切子」という名を冠する商品・店舗は各地に存在しています。
大正12(1923)年創業の清水硝子で働く中宮涼子さんは、江戸切子初の女性伝統工芸士。
今回は、職人になったきっかけや一つ一つの作品に込められた想い。
この仕事をしている上でのこだわりなどを詳しく伺った。
江戸節句人形
「江戸節句人形」とは、3月のひな祭りや5月の端午の節句に飾る、ひな人形・五月人形・飾り甲冑の総称です。
江戸節句人形の特徴は、小ぶりで洗練されたスタイルと、リアルさにあります。
江戸時代初期、江戸では大型で豪華な人形が屋外に飾られていましたが、京都からきた人形師が作成した次郎左衛門雛が江戸でも売り出されると、小ぶりで庶民的な雰囲気が人気となります。
そうして、江戸独自の小ぶりで洗練された人形の様式が確立されました。
節句人形の胴体は木、藁など自然素材から造り、衣装を着せつけます。
甲冑は木や紙といった天然素材や鉄、銅などから作り、実物のミニチュアともいうべき精巧な造りが魅力です。
江戸木版画
木版画とは、木製の原版に彫った絵柄に絵具を乗せ、紙などに写し取る絵を指します。
「江戸木版画」は浮世絵のほか、花見や相撲、名所といった庶民の日常風景を主なテーマにした、多色刷りの木版画です。
江戸木版画は江戸時代後期、浮世絵などを気軽に楽しめる印刷物として江戸庶民に親しまれました。
当初は墨一色でしたが、墨摺絵に丹(朱色)を筆で彩色した“丹絵”が考案された後、二色で摺る紅摺絵、さらに金や銀、中間色など10色以上で彩られた錦絵が登場し多色刷りが確立し、爆発的に流行しました。
江戸木版画は下絵を描く絵師、板木を彫り上げる彫師、紙に摺る摺師の職人の技を結集した、独特の美しさが魅力です。
江戸木版画のどの工程も重要ですが、鮮やかな色を出していく“摺り”とはどのようなものなのか、こちらのワゴコロ編集部の江戸木版画体験の記事でお楽しみください。
東京メトロのCMでおなじみ、“Find my Tokyo”でも掲載されている「松崎大包堂」さんでの「江戸木版画」体験レポートです!
今や海外でも大人気の浮世絵。海外の美術館などには「国宝級」とも称される、浮世絵の名作が所蔵されていることも珍しくありません。さらに展覧会が開かれれば大盛況。
江戸硝子
「江戸硝子」は、江戸時代から続く伝統技法で作られるガラス製品です。
手づくりの一点もので、手作業ならではの深みと輝くような透明度が魅力となっています。
江戸時代後期、かんざしや風鈴、メガネなどの日用品が江戸硝子で作られ、人気を呼びました。
今も昔ながらの材料を使い、高温で溶かされたガラスを宙吹き・型吹き・押し型などの技術を用いてさまざまな形を作りあげていきます。
最近では、グラスの底にデザインされた富士山が飲み物の色によって変化する富士山グラスで話題を呼びました。
ちなみに、江戸硝子に切子(カット)模様を施したのが【江戸切子】です。
江戸べっ甲
あめ色に黒いまだら模様が入ったべっ甲製品は、南方の海に生息するウミガメ(タイマイ)の甲羅で作られた工芸品です。
肌触りの良さとあめ色の艶めいた光沢、うっとりするような美しさが持ち味で、櫛やメガネフレーム、ネックレスなど多様なアイテムに使われています。
「江戸べっ甲」の始まりは、江戸幕府が開かれた頃。
単純な甲羅細工からはじまり、後に甲羅の貼り合わせ技法が伝わったことで、複雑な形の製品が作られるようになりました。
現在でも、水と熱と圧力だけで甲羅の貼り合わせを行うため、職人の熟練の技が必要とされています。
なお、“べっ甲(鼈甲)”という名前は、ある大名がタイマイの代わりに、国内でとれた鼈の甲羅を代用品として使う許可を得たことに由来します。
東京アンチモニー工芸品
「東京アンチモニー工芸品」とは、鉛、アンチモン、錫を混ぜたアンチモニー合金を材料にした金工品のことです。
明治維新で職を失った江戸の鋳物師や彫師たちが、工夫を重ねてアンチモニー製品の技術を確立し、地場産業へと成長させました。
アンチモニー工芸品は、他の金属よりも細かな模様を表現できることや、金、銀などのメッキ加工をしやすいため、見栄えの良い華麗な作品を作ることができます。
その特徴を活かし、宝石箱やオルゴール、トロフィーなどさまざまな製品に使われています。
また、近年は、光沢感が美しく環境にも優しい錫製品の“エテナ”が開発され、タンブラーやロックグラスなどに使われています。
東京無地染
「東京無地染」とは、一反(約13m)の白い生地を顧客の望む色に染める技法で、江戸時代中後期から作りはじめられたといわれています。
江戸幕府により贅沢を禁止し倹約を促進する法律が出されたことにより、着物の色まで限定されてしまった江戸っ子の間では、幕府から許可された、鼠・茶・藍の色に染める無地染めが流行しました。
今では、東京無地染の色見本は170色もあり、赤・緑・青・黄・黒の5つの色の組み合わせで、希望に応じた色を生み出します。
シンプルですが、微妙な色の違いなど、実に奥の深い染色を見せてくれます。
しかも、一度染めたものを後から染め直すことができるため、同じ反物でも色を変えることで違う表情を見せてくれます。
江戸押絵
押絵とは、厚紙や布に綿を包んでパーツを作り、それを板などに貼り付けた立体的なポップアートを指します。
なかでも「江戸押絵」は、浮世絵を立体的に表現した江戸発祥の伝統的工芸品です。
江戸時代、縁起物の羽子板と押絵の技術が合わさり、伎役者絵を表現する押絵羽子板という形で誕生しました。
歌舞伎役者の似顔絵がついた押絵羽子板は、華やかさと緻密さ、人物が飛び出してきそうな躍動感で飛ぶように売れ、この売れ行きが役者の人気のバロメーターになるプロマイドのような人気を呼び、広まっていきました。
江戸押絵は役者だけでなく、風景や動植物などさまざまなデザインがあり、現在では羽子板のほかに額装、屏風、団扇などにも取り入れられています。
こちらの記事では、江戸押絵羽子板の職人・野口豊生氏についてご紹介しています。
東京都墨田区に工房を構える、むさしや豊山。明治元年に創業して以来150年、墨田区の下町で江戸押絵羽子板を作り続けている。今回は、むさしや豊山五代目の当主となる野口豊生氏に、江戸押絵羽子板の魅力や、職人となったきっかけなどを詳しく伺った。
日本には何十年、何百年も前から受け継がれてきた技術を用いた、伝統工芸品が数多く存在します。技術の革新により機械化が進み、安価で使いやすい商品がどんどん市場に出回っている昨今、手作業で作られる伝統工芸品は需要が少なくなり、追い詰められているのが現状です。
伝統工芸士とは、経済産業大臣指定の伝統的工芸品の製造に従事する技術者かつ高度な技術・技法を保持する職人のことであり、国家資格です。この記事では、なるにはどうしたらよいのか、伝統的工芸品の種類や伝統工芸士の資格・認定について、女性工芸士の活躍のほか、もっと伝統的工芸品に触れるために活用したい施設などをご紹介します。
日本には多くの種類の織物があります。どの織物も素晴らしい技術を使って織られますが、その中でもこの記事では国によって伝統的工芸品に指定されている38種類の織物を紹介します。材料や織り方、染め方など、地域の特性を生かして織り出される布は、どれも独特な個性があるので比べてみると楽しいかも知れません。
織物とは、経糸と緯糸を交差させて作る布地のことをいいます。日本の織物は、古くから受け継がれる伝統的な手法によって職人の手で一つずつ丁寧に作り上げられる、非常に奥深い工芸品です。この記事では、織物の種類や歴史など、日本各地の織物についてご紹介します。
日本には伝統的なものが数多くあり、染色、染物技術もその一つです。
染色(染物)といえば着物をイメージする人も多いと思います。
着物の種類は染め方によって多種多様で、希少価値の高いものから日常的に着られるものまでさまざまです。
粘土を成形し、高温の窯などで焼成し器や造形物を作ることを陶芸と言います。
火山の噴火によってできる岩石が長い年月をかけ砕かれ、有機物と混ざりあったものが粘土。
世界中に存在しています。
陶芸によって作られる陶磁器と呼ばれるものにはおおまかに2種類あり、土が主な原料で叩いた時ににぶい音がするのが「陶器」。
指物とは、釘を使わずにホゾや継ぎ手で木材を組み、且つ外側に組み手を見せない細工を施した木工品をいいます。指物と言うよりは和箪笥、和家具と言った方が、想像しやすいかもしれません。
指物と言われる由縁(ゆえん)は、物差しを多用し、木を組んで制作することから来ています。
和紙は古来から日本で作られてきました。和紙の作成技術の起源には諸説ありますが、有力な説は、日本書紀に書かれている西暦610年に朝鮮から仏教の僧によってもたらされたというものです。当時は聖徳太子が活躍していた時代でした。
ガラス細工と聞いて、どんなものを思い浮かべますか?花瓶、お皿、ステンドグラス…私たちが日常で使っている、あらゆるものにガラス細工は施されています。
今回は、意外と身近にある「ガラス」と「ガラス細工」の関係、体験方法や有名なガラス工芸作家などを紹介しています。
日本には、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、日用品の伝統工芸品が多数存在します。全国では200品目以上ありますが、関東地方ではそのうちの35品目が伝統的工芸品として認定されています。本記事では、今も脈々と継承されている関東地方の伝統的工芸品をご紹介します。
「東京彫金」とは、昭和48年(1973年)に設立された「日本彫金会」の会員により制作される、彫金技法(タガネを使って金属に彫刻すること)を用いて作られた作品のことです。東京彫金により描かれる動物や植物は、その毛の1本1本、繊維の一つひとつが彫りで描かれており、立体感を醸し出し躍動感が伝わってきます。
ワゴコロ編集部による、東京都台東区にある「浅草 飴細工 アメシン」さんでの“飴細工体験”レポートです。
東京「浅草」でオススメの観光名所・グルメスポット20選をご紹介します!浅草に詳しいワゴコロ編集部員が選ぶ、東京の下町らしい歴史ある風情と最新の流行スポットをご堪能ください♪