日本海に面し、東西に広い新潟県。

日本一長い“信濃川”をはじめ多くの川を有するほか、数々の山に囲まれつつも肥沃ひよくな平野を持つ、日本有数の米どころです。

夏には長岡まつり大花火大会など全国屈指の花火大会が開催され、冬には50を超えるスキー場や温泉街が観光客で賑わいます。

そんな新潟県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、25品目以上の伝統工芸品が存在します。

この記事では、その中でも経済産業大臣によって新潟県の「伝統工芸品」として指定されている、塩沢紬、本塩沢、小千谷縮、村上木彫堆朱、加茂桐箪笥、長岡仏壇、燕鎚起銅器、十日町絣、越後与板打刃物、羽越しな布など16品目をご紹介します。

※肥沃:土地が肥えており、農作物が良くできること。

伝統的工芸品とは?
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること

本記事の内容は、令和4年(2022年)1月時点のものです。
掲載内容は変更していることもありますので、ご留意ください。

塩沢紬

塩沢紬しおざわつむぎ」は、新潟県南魚沼みなみうおぬま市周辺で織られる絹織物です。

奈良時代から続く麻織物(越後上布えちごじょうふ)の技術を絹織物に取り入れ、江戸時代から作られるようになりました。

塩沢紬の特徴は、“蚊絣かがすり”とも呼ばれる細かい十字絣じゅうじがすりや“亀甲絣きっこうがすり”などの繊細な絣模様にあります。

これらは手くくり、手摺り込みにより絣糸を手作業で合わせて織り上げたもので、その繊細さに職人技が光ります。

この絣模様が単色調の渋めの色合いと調和して、着物として身に着ければ上品な印象に。

また、よこ糸に手つむぎ糸(かいこの繭を真綿まわた状にして糸を取り出した物)を使うため、絹の滑らかさを持ちながらも、真綿ならではの柔らかさとざらりとした軽い着心地が魅力です。

品名塩沢紬
よみしおざわつむぎ
工芸品の分類織物
指定年月日昭和50年(1975年)2月17日


本塩沢

本塩沢ほんしおざわ」は、新潟県南魚沼市周辺で作られる絹織物で、「塩沢しおざわし(塩沢御召/塩沢お召)」とも呼ばれています。

江戸時代、越後地方に伝わる麻織物の越後上布の湯もみや手くくりの技法を絹織物に応用して本塩沢の原型が生まれました。

生糸を使用した本塩沢は、表面の細かなシボ(しわ)と緻密な絣模様が特徴的です。

よこ糸に強いよりをかけ、織り上げたのちに湯もみでよりを戻すことで表面に独特のシボが生まれ、シャリッとした生地に仕上がります。

十字絣や亀甲絣などの精緻な絣の模様が、優美な上品さを醸し出します。

なお、本塩沢と塩沢紬との違いは、紬が真綿のつむぎ糸を使うのに対し、本塩沢は生糸を用いて湯もみして仕上げる点です。

品名本塩沢
よみほんしおざわ
工芸品の分類織物
指定年月日昭和51年(1976年)12月15日


小千谷縮

小千谷縮おぢやちぢみ」は新潟県小千谷市とその近郊で、苧麻ちょまの繊維を使って作られる麻織物です。

奈良時代から続く麻織物(越後上布)を改良し、江戸時代に生み出されたもので、農家の冬の副業として発展していきました。

すべて手作業で行うその伝統技法は、越後上布とともにユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

小千谷縮の特徴は、シボ(しわ)と“雪さらし”という技法です。

よこ糸に強いよりをかけ、織り上げた後に湯もみすることで生まれるシボにより、さらっとした肌触りの生地に仕上がります。

さらに完成後、雪の上で反物をさらす雪さらしを行うことで、布が白くきれいになり、染色も鮮やかな織物になります。

品名小千谷縮
よみおぢやちぢみ
工芸品の分類織物
指定年月日昭和50年(1975年) 9月4日


小千谷縮について詳しく知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。

小千谷紬

小千谷紬おぢやつむぎ」は、新潟県小千谷市周辺で江戸時代から織られている絹織物です。

歴史ある麻織物の越後上布を改良した、【小千谷縮】の技法を絹糸に取り入れて生まれました。

もともとは屑繭くずまゆを使った農家の自家用でしたが、江戸時代末期になると麻糸の原料不足もあり、小千谷紬の生産が盛んになり工芸品へと発展しました。

小千谷紬は真綿の手つむぎ糸や玉糸を使っているため、絹独特の滑らかさとともに、ふっくらとした軽くて素朴な味わいがあります。

また、よこ糸の絣糸のみで模様を織り出す“緯総絣よこそうがすり”の技法も有名です。

たて糸に玉繭を原料とした糸を使うためよこ糸の模様が淡く、霞がかかったかのようになり、表情のやさしい織物に仕上がります。

品名小千谷紬
よみおぢやつむぎ
工芸品の分類織物
指定年月日昭和50年(1975年)9月4日


村上木彫堆朱

平安時代から天然漆の産地として名高い新潟県村上市周辺で生産される「村上木彫堆朱むらかみきぼりついしゅ」は、彫刻を施した木地に漆を塗り重ねる漆器です。

茶器や花器、ぐい呑、器、アクセサリーにバッグの持ち手など、多様な製品が作られています。

堆朱ついしゅ”という技法は中国生まれで、漆の層に彫刻を施すものでしたが、村上地方では江戸時代に木地に模様を彫り、天然の漆を施す技法へと発展しました。

村上木彫堆朱は繊細かつ立体感と躍動感のある彫が特徴で、使い込むほどに磨かれて輝く奥深い艶が魅力です。

なお、一つの製品には木地師・彫師・塗師が関わっており、分業で多くの工程を経て製作されます。

村上木彫堆朱の塗りには以下の6つの技法が伝えられています。

1堆朱(ついしゅ)漆を塗り重ねた木地に朱漆を上塗りし、艶消しで仕上げる代表的な塗り方。
年が経つことで朱色の艶が増していく。
2堆黒(ついこく)黒漆を使い塗り重ねていく。仕上げは磨き上げる技法。
3朱溜塗(しゅだめぬり)堆朱の後、溜漆を2~3度塗ってから磨き上げる技法。
4色漆塗/彩漆塗(いろうるしぬり)堆朱または堆黒の上塗り後に、数色の色漆を使って塗り上げる技法。
5金磨塗(きんまぬり)色漆塗にさらに金箔を貼り、その上から色漆を塗り重ねた後に研磨することで彩りと金箔を研ぎ出す技法。
6三彩彫(さんさいぼり)/彫漆(ちょうしつ)/むき彫り彫刻を施していない木地に朱・黄・緑の3色の漆を塗り重ねた後に黒を塗り磨き上げ、色が出るように表面を彫り上げる技法。


漆を塗る時には彫り目を埋めてしまわないように指の腹やタンポでたたきながら塗るなどし、刷毛で調整を加えたりと、細かい職人技が込められた工芸品です。

品名村上木彫堆朱
よみむらかみきぼりついしゅ
工芸品の分類漆器
指定年月日昭和51年(1976年)2月26日


加茂桐箪笥

桐箪笥の一大産地である新潟県加茂市とその近郊で生産される「加茂桐箪笥かもきりたんす」。

加茂が桐の産地だったことから、江戸時代に箪笥作りがはじまり産地へと発展しました。

軽くて柔らかく、気密性の高い桐の木で作った箪笥は、火災や水害に強く、湿気や害虫も防ぐなど機能性に優れています。

加茂桐箪笥は、実用性に加えて桐の木肌の温もりと絹に例えられる白艶、まっすぐとした木目など、高級家具にふさわしい気品をそなえています。

その特徴は、今も原木の製材から天然乾燥、箪笥の完成まで一貫生産を行っていることで、職人の手作業で丁寧に作り上げられます。

品名加茂桐箪笥
よみかもきりたんす
工芸品の分類木工品・竹工品
指定年月日昭和51年(1976年)12月15日


最近では、加茂桐箪笥の技法を用いた“想ひ凾おもいはこ”という、小物等の大切なものを飾る作品も展開されています。

新潟・白根仏壇

北陸は古くから仏教信仰が盛んだったため、仏壇産地の多い地域です。

新潟市などを産地とする「新潟・白根仏壇しろねぶつだん」は、江戸時代中期に寺院専門の大工が、京仏壇をベースに仏壇を作り、独自の彫刻を加えたのが発祥とされています。

新潟・白根仏壇の製作は、木地・彫刻・金具・塗箔・蒔絵の5つの部門の専門職人(五職)による分業制で行われています。

ヒノキ、ヒメコマツなど良材を使用し、漆で模様を描いて金粉や貝の薄片などをまいた蒔絵まきえを施した優雅さに定評があります。

また、“平枡型ひらますぐみ”という、組立、解体が容易な独自の技法を用いているため、解体して修理することも可能で、100年、200年と長く使うことができます。

品名新潟・白根仏壇
よみにいがた・しろねぶつだん
工芸品の分類仏壇・仏具
指定年月日昭和55年(1980年)10月16日


長岡仏壇

長岡仏壇ながおかぶつだん」は、江戸時代初期に越後長岡藩えちごながおかはん(現在の新潟県長岡市・新潟市)周辺で寺院を建築するために集まった職人たちの冬の内職としてはじまりました。

長岡藩が浄土真宗を保護したことから、庶民の間にも仏壇が定着。

今では現代の生活に調和する、小型で新しいデザインの仏壇づくりにも積極的です。

長岡仏壇の特徴は、台座と主体が組み立て方式で塗り替えができるため耐久性が良いこと。

また、本尊をまつる宮殿くうでんの屋根は、二重屋根の両脇に脇屋根のついた“三ツ屋根型宮殿みつやねがたくうでん三ツ屋根式宮殿みつやねしきくうでん)”という豪華な造りになっています。

高度な彫刻の技術と、艶を抑える漆塗りの最上級の技“呂色仕上ろいろしあげ”による上品な仕上がりも特徴の一つです。

品名長岡仏壇
よみながおかぶつだん
工芸品の分類仏壇・仏具
指定年月日昭和55年(1980年)10月16日


三条仏壇

“仏都三条”ともいわれたほど仏教が盛んであった三条地方(現在の新潟県三条市)にて、江戸時代に大寺院が建立されたことから職人が集まり、「三条仏壇さんじょうぶつだん」の製造がはじまりました。

三条仏壇は同県内で作られる白根仏壇や長岡仏壇が5部門6工程(木地・彫刻・金具・塗・蒔絵・金箔押し)であるのに対し、7つの工程(木地・宮殿・彫刻・金具・塗・蒔絵・箔押しと組立)の分業制で製造されています。

三条仏壇の最大の特徴は、古くから金物かなものの町として知られた三条らしく、その高度な技術を活かした手打ちの飾り金具です。

数十種類のたがねという工具を使い分けて、細かい模様やなめらかな曲線など、趣向を凝らした金具を作り上げます。

また、三条仏壇は京仏壇の伝統を忠実に受け継ぐ造りで、寺院宮殿を模した正統的な宮殿くうでんと、美しい本漆塗、優美な絵柄も高い評価を受けています。

平成28年(2016年)には、新しい祈りの空間を創造するプロジェクトとして神棚のような“空壇くうだん”が提案されるなど、現代の生活にマッチした新仏壇を作る取り組みが行われています。

品名三条仏壇
よみさんじょうぶつだん
工芸品の分類仏壇・仏具
指定年月日昭和55年(1980年)10月16日


燕鎚起銅器

燕鎚起銅器つばめついきどうき」とは、1枚の銅板をつちで何度も叩いて加工、整形して形を作っていく銅器のことで、主に新潟県つばめ市で作られています。

伝統的なやかんや急須をはじめ、今ではビールカップやコーヒーのドリップポット、さらにその美しさから名刺入れや靴ベラといった生活用品も作られています。

燕槌起銅器は、江戸時代に仙台から技術が伝えられ、地元で採れる銅を用いてやかんなどを作りはじめたことが起源であるといわれています。

明治時代になってから彫金技術も加わり、美術工芸品へと発展しました。

1枚の銅板から急須の注ぎ口部分まで作り出す技術の高さには驚かされます。

なめらかな銅ならではの光沢が美しく、使い込んでいくことでより味わい深い魅力が出てきます。

品名燕鎚起銅器
よみつばめついきどうき
工芸品の分類金工品
指定年月日昭和56年(1981年)6月22日


燕鎚起銅器の製造工程をもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください!

十日町絣

十日町絣とおかまちがすり」は、日本有数の豪雪地帯かつ織物の産地である新潟県十日町市周辺で作られる絹織物です。

江戸時代末期、この地域で盛んだった麻織物の越後縮の技術を絹糸に転用して誕生しました。

十日町絣の最大の魅力は、繊細な絣模様の美しさにあります。

たてとよこの両方に色染めをした糸を巧みに組み合わせて織り込み、かすったような模様の“絣模様”を作り出します。

絹の艶々とした光沢と繊細な絣模様が調和した上品さが人気で、近年では伝統の民芸調の模様だけではなく、現代的なセンスも取り入れてファンを増やしています。

品名十日町絣
よみとおかまちがすり
工芸品の分類織物
指定年月日昭和57年(1982年)11月1日


十日町明石ちぢみ

十日町明石とおかまちあかしちぢみ」は、新潟県十日町市で作られている絹織物です。

越後縮(麻織物)を発展させた十日町透綾とおかまちすきやと京都西陣の夏物の反物の技術を融合して明治時代に生まれました。

“明石”の名は、縮布ちぢみぬの(ちぢみふ)の原産地である播州(現在の兵庫県)明石からとったという説や、小千谷縮の創始者といわれる播州明石藩生まれの堀次郎将俊まさとし(別名・明石次郎あかしじろう)からとったという説があります。

せみはねのように透き通っているほどの薄さと、表面に独特のシボ(しわ)のある、シャリっとした涼しい夏を代表する着物です。

模様の作り方は十日町絣と同じですが、十日町明石ちぢみでは横糸に強いより(ねじり)を加えた糸を使う点が異なります。

八丁撚糸機はっちょうねんしききという機械を利用して、1mに4000回ものよりをかけます。

このよりを加えているため、織り上げた後に湯もみすると、よりが戻り、独特のシボを生み出すのです。

品名十日町明石ちぢみ
よみとおかまちあかしちぢみ
工芸品の分類織物
指定年月日昭和57年(1982年)11月1日


越後与板打刃物

越後与板打刃物えちごよいたうちはもの」は、400年以上の伝統を持つ新潟県長岡市与板町よいたまちで生産される打刃物です。

さまざまな刃物が作られていますが、特にのみかんなちょうなまさかりの大工道具が伝統的工芸品に指定されています。

越後与板刃物の伝統は、戦国時代に上杉謙信の家臣だった直江なおえ氏がこの地に鍛冶職人を連れてきたことにはじまります。

以降、刀や鉄砲を生産しましたが、江戸時代に大工道具も造られるようになりました。

はがね地鉄じがねを接着させ、焼いて叩くことを繰り返す“火造り”という技法で作り上げた越後与板打刃物は、切れ味の鋭さと使いやすさで職人からの支持が高い刃物です。

伊勢神宮をはじめ、日本全国の寺社仏閣の修復の際の大工道具として使用されている越後打刃物ですが、例に漏れず後継者不足は深刻な問題です。

後継者がいなくなることは、国宝や重要文化財の修復で使用する道具を作る職人がいなくなることを意味し、日本の文化の衰退に繋がってしまいます。

令和2年(2020年)には、自身の請け負う仕事量を抑え、つきっきりでの弟子育成に本腰を入れる職人が登場。

国や市の補助金申請やふるさと納税で職人の減収分の収入や弟子育成費用を募るといった支援を受けながら、伝承継承へと新しい取り組みがなされています。


※打刃物:日本刀の製造技術を活かして金属をたたいて整形する製法で作った刃物。

品名越後与板打刃物
よみえちごよいたうちはもの
工芸品の分類金工品
指定年月日昭和61年(1986年)3月12日


新潟漆器

新潟県新潟市や加茂市付近で生産される「新潟漆器にいがたしっき」は、江戸時代に秋田から漆塗りの技法が伝わり、その後、塗り物の専売地域が定められ発達していきました。

江戸時代から明治時代にかけて新潟独自の技法も生まれ、新潟漆器の名が全国に広まります。

新潟漆器には、100種類以上にのぼるほど多彩な塗技法があり、“変塗かわぬりの宝庫”と呼ばれるほど。

新潟漆器を代表する竹の節や筋を漆で表現した“竹塗”、海草が揺れているような“磯草塗”、模様をつけないシンプルな“花塗”など多様な塗で、個性豊かな表情を楽しむことができます。

平成26年(2014年)には、まるで真鍮しんちゅうのような質感となる江戸時代の塗り技法“朧銀塗おぼろぎんぬり”を復刻するプロジェクトが立ち上がり、代表的な伝統技法の竹塗と融合させた作品が作られるなど、新潟漆器はいまなお発展し続けています。

品名新潟漆器
よみにいがたしっき
工芸品の分類漆器
指定年月日平成15年(2003年) 3月17日


羽越しな布

羽越うえつしな」は、シナノキやオオバボダイジュの樹皮から採れる繊維で作った糸で織り上げた布です。

新潟県村上市にある山熊田やまくまだ地区といかづち地区、山形県鶴岡市関川せきがわ地区の3地域において手作業で作られています。

羽越しな布の起源については定かではありませんが、樹皮を使った織物の中では最も古い布の一つとされ、平安時代には既に存在していたと考えられています。

古くは穀物を入れる袋や仕事着などが作られていましたが、今では帯やバッグ、暖簾、帽子に日傘など、幅広い場面で使われています。

羽越しな布は伐採した木から糸を取り出し、完成まで10か月以上の歳月をかけて、丁寧に織り上げられます。

樹皮の繊維ならではの素朴な風合いとざっくりとした手触り、そして丈夫で使いやすいところが魅力です。

品名羽越しな布
よみうえつしなふ
工芸品の分類織物
指定年月日平成17年(2005年)9月22日


越後三条打刃物

新潟県三条市の「越後三条打刃物えちごさんじょううちはもの」は、伝統的な技法で作られる打刃物です。

江戸時代初期には鎌・くわなどの農具の製造が行われ、農閑期の副業として和釘わくぎ作りがはじまり、それを応用してかんなのみといった大工道具や庖丁、まさかりなども手掛けるようになり、三条周辺は刃物の一大産地となりました。

越後三条打刃物は焼けた鉄を金型で叩いて形を作るため、鉄の強度が高まり、切れ味も良く、丈夫で長持ちするのが特徴です。

また、伝統的工芸品には庖丁、鎌、和釘ほか10品目が指定されており、それぞれ切れ味が良く、使いやすさにも定評があります。

品名越後三条打刃物
よみえちごさんじょううちはもの
工芸品の分類金工品
指定年月日平成21年(2009年)4月28日