写真提供:(一社)埼玉県物産観光協会 ※複製・再転載禁止
関東地方の中央に位置し、全国的に見ても快晴日数が多い埼玉県。
利根川や荒川、長瀞など、水辺にも恵まれており、コイ科の中でも最も美味しいといわれる“ホンモロコ”の生産量は日本1位※です。
また、埼玉県蕨市は、成人式発祥の地だといわれています。
そんな埼玉県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、30品目の伝統工芸品が存在します。
この記事では、その中でも経済産業大臣によって埼玉県の「伝統的工芸品」として指定されている春日部桐箪笥、岩槻人形、秩父銘仙、行田足袋、江戸木目込人形、江戸押絵をご紹介します。
※平成28年(2016年)の調査結果
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること
本記事の内容は、令和3年(2021年)12月時点のものです。
掲載内容は変更していることもありますので、ご留意ください。
春日部桐箪笥
「春日部桐箪笥」は、埼玉県春日部市を中心に生産される桐の箪笥で、軽くて運びやすい上に、燃えにくく湿気にも強いなど実用性に優れています。
美しい桐の木肌を生かした、直線的でシンプルな造りも魅力の一つです。
また、春日部桐箪笥には金釘が使われていません。
その代わりに、木の釘と “ほぞ組み接ぎ”という凹凸を作って接合する伝統技法を駆使し、頑丈に仕上げています。
春日部桐箪笥の歴史は、江戸時代に日光東照宮造営のために集まった職人たちが、この地で採れる桐で箱などを作ったのがはじまりです。
江戸時代末期には専門の桐箪笥職人も増え、質実剛健な武士文化の時代を表すようなシックな外観となっていったようです。
岩槻人形
「岩槻人形」は、“人形のまち”として有名な埼玉県さいたま市の岩槻地方で生産される、美しい衣装を着た人形の総称です。
目鼻立ちのくっきりした愛らしい丸顔が特徴で、雛人形や市松人形などさまざまな人形があります。
岩槻で人形作りがはじまったのは、江戸時代。
日光東照宮の造営に携わった工匠が、桐の産地である岩槻に定住し、桐のおがくずを使って人形を作ったのがはじまりとされています。
江戸時代末期、奢侈禁止令※により小ぶりで地味になった江戸の雛に比べて、大柄で華やかな岩槻人形が人気を博したと伝えられています。
桐粉(桐のおがくず)と正麩のりを混ぜた桐塑で作った顔はとても滑らかで、衣装には西陣織などの豪華な織物が使われることもあります。
※奢侈禁止令: 贅沢・奢侈を禁止し、無駄を省き節約することを推奨・強制する法令。
美しい岩槻人形について、もっと知りたい方は、こちらの記事をどうぞ。
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秩父銘仙
埼玉県秩父市近郊を産地とする絹織物の「秩父銘仙」は、丈夫で軽く、裏表がなく何度も仕立て直しができることから、一般の方の手軽なオシャレ着として愛用されてきました。
そんな秩父銘仙は、養蚕家が規格外の繭から作った自家用の普段着が江戸時代に着やすいと評判となったもので、明治から昭和にかけて“銘仙※”と呼ばれて隆盛を迎えました。
人気に火をつけたのは、明治時代に考案された、大胆で華やかなモダン柄を生み出す、“ほぐし捺染”という技法の誕生です。
※銘仙:厚みのある平織の絹織物のこと。
見る角度によって色が違って見える玉虫効果も美しく、今も外出着として広く愛用されています。
行田足袋
「行田足袋」は、埼玉県行田市で作られる和装の靴下にあたる履き物で、指先が親指とそれ以外の二股にわかれています。
足首のところで真鍮もしくはアルミの“こはぜ”で止める仕組みになっており、指がフィットして収まるよう、立体的なふくらみを持たせる工夫がなされています。
行田では足袋の素材となる木綿が栽培され、中山道※を通る旅人が多かったことから、江戸時代中期から足袋作りがはじまりました。
大正から昭和にかけて最盛期を迎え、行田は“日本一の足袋のまち”と呼ばれます。
現在では、足袋をベースとしたランニングシューズでも有名ですね。
また、行田は足袋蔵のある町として日本遺産にも認定されています。
※中山道:江戸時代に整備された、東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道。
江戸木目込人形
「江戸木目込人形」は、主に東京都や埼玉県で生産されている、胴体に溝を彫り、衣裳となる布地を溝に差し込んで作る人形です。
着物を差し込むことで、しわや段差などを立体的に表現し、人形が着物を着ているかのように見えます。
江戸時代、京都の神官が余った柳の木で人形を作ったことがはじまりと伝えられており、溝に布を“きめこむ”※ことから「木目込人形」と呼ばれるようになりました。
その後、江戸時代中頃に京都から江戸に来た人形師によって木目込人形が伝えられ、京都風に比べて目鼻立ちがくっきりした、江戸風の江戸木目込人形として発展していきました。
木目込人形は自由度が高いのも特徴で、今ではさまざまなスタイルに挑戦する新進気鋭の人形作家も登場しています。
※きめこむ:“極めこむ”と書き、“中に入るものが、入れ物に隙間なく、うまく合うように入れる”という意味。
江戸木目込人形職人・柿沼利光さんのインタビュー記事はこちらからどうぞ。
埼玉県越谷市に工房を構える柿沼人形。
1950年に東京で創業し、二代目である父の柿沼東光氏が広さを求めて埼玉に工房を移した。東京都の伝統工芸品「江戸木目込み」の技法を使い、主に節句人形を製造している。伝統を守りつつ、10年20年先を見据えた他にない唯一のものを作ろうと、本物志向で挑戦を続けている。
江戸押絵
押絵とは、厚紙や布に綿を包んでパーツを作り、それを板などに貼り付けた立体的なポップアートを指します。
なかでも「江戸押絵」は、浮世絵を立体的に表現した江戸発祥の工芸品です。
江戸時代、縁起物の羽子板と押絵の技術が合わさり、役者絵を表現する押絵羽子板という形で誕生し、華やかさと緻密さ、人物が飛び出してきそうな躍動感で江戸の人々を虜にしました。
この役者絵の押絵羽子板の売れ行きは、役者の人気のバロメーターとなり、江戸押絵も広く知れ渡りました。
江戸押絵は役者だけでなく、風景や動植物などさまざまなデザインがあり、現在では羽子板のほかに額装、屏風、団扇などにも取り入れられています。
江戸押絵羽子板師・野口豊生さんのインタビュー記事はこちらからどうぞ。
東京都墨田区に工房を構える、むさしや豊山。明治元年に創業して以来150年、墨田区の下町で江戸押絵羽子板を作り続けている。今回は、むさしや豊山五代目の当主となる野口豊生氏に、江戸押絵羽子板の魅力や、職人となったきっかけなどを詳しく伺った。
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