写真提供:福岡市

もつ鍋や辛子明太子、博多ラーメンなど、美味しいグルメの宝庫である福岡県。

福岡市や北九州市、久留米市に立ち並ぶ屋台群は観光スポットとして大人気で、福岡県の屋台の店舗数は日本一だそうです。

また、北九州空港と福岡空港の2ヶ所の空港を持ち、国内外への移動拠点となっているため、九州・アジアの玄関口とも呼ばれています。

さらに、地域に根付いた伝統的な祭りが多く、中でも日本三大祇園祭に数えられる博多祇園山笠の時期は、約300万人の観光客で博多の街が賑わいます。

そんな福岡県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、40品目以上の伝統工芸品が存在します。

この記事では、その中でも経済産業大臣によって「伝統工芸品」として指定されている7品目をご紹介します。

伝統的工芸品とは?
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること

本記事の内容は、令和4年(2022年)3月時点のものです。
掲載内容は変更していることもありますので、ご留意ください。

小石原焼

小石原焼こいしわらやき」とは、福岡県朝倉郡東峰村とうほうむらを中心に作られている陶器です。

江戸時代、筑前福岡藩の3代目藩主・黒田光之くろだみつゆきが、この地に伊万里焼の職人を招いたのがはじまりだとされています。

以来、小石原地区で採れる赤土を原料とし、実用性と美しさを兼ね備えた、“用の美の極地”とも称えられる日常使いの器を作ってきました。

小石原焼の持ち味は、手にしっくりくる土の素朴な風合いと、モダンで整然とした模様にあります。

この模様は、ロクロで回しながら仕上げる器に、かんなの刃先やハケなどをあて入れて生み出されています。

その技法には、鉋を使う“飛び鉋とびかんな”や櫛型の道具を使う“櫛目くしめ”、ハケをあてる“刷毛目はけめ”、さらに釉薬を等間隔に流し続ける“流し掛け”などがあり、規則的で温かみのある模様を生み出しています。

品名小石原焼
よみこいしわらやき
工芸品の分類陶磁器
指定年月日昭和50年(1975年)5月10日


小石原焼についてもっと詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください♪

久留米絣

久留米絣くるめがすり」とは、福岡県久留米市周辺で織られているかすり模様の綿織物で、日本三大絣の一つです。

藍色の生地に白い十字や市松などの絣模様が素朴で美しく、肌触りがよく丈夫なことから、昭和初期まで普段着として愛用されていました。

久留米絣は、江戸時代に井上でんという少女が、藍染めの着物にできる色落ちした白いまだらに注目したことをきっかけに誕生しました。

井上伝は、織糸の所々を糸でくくってから染め、織り上げたときに織糸の染まっていない部分で柄を出す技法を発案します。


※日本三大絣:備後絣(広島県)、伊予絣(愛媛県)、久留米絣(福岡県)のこと。

やがて200年の伝統の中で、絵や文字の柄を生み出す“絵絣えがすり”や緻密な柄の“小絣こがすり”も考案され発展していきます。

久留米絣は洗うほどに色が冴える魅力を持ち、長く親しまれる逸品です。

品名久留米絣
よみくるめがすり
工芸品の分類織物
指定年月日昭和51年(1976年)6月2日


博多人形

博多人形はかたにんぎょう」は、主に福岡県の博多地区で生産される、素焼きの土人形です。

慶長5年(1600年)に筑前福岡藩初代藩主の黒田長政くろだながまさが、築城のために職人を集め、その職人たちが粘土で素焼きの人形を作ったことをきっかけに、やがて博多人形の原型が確立されたと伝えられています。

素焼きに絵付けを施した人形はマットな質感で温かみがあり、柔らかい曲線と繊細な表情の美しさが特徴です。

その美しさは、石膏せっこうに数ミリ単位で粘土を押し込み、細かい模様も筆で手描きをする職人の高度な技によって生み出されるものです。

博多人形には、“美人もの”“歌舞伎もの”など多数の種類があり、現在は漫画のキャラクター物なども人気です。


※石膏:粘土で作った原型を型取るもの。

品名博多人形
よみはかたにんぎょう
工芸品の分類人形・こけし
指定年月日昭和51年(1976年) 2月26日


博多人形についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

博多織

博多織はかたおり」は、福岡県博多地区で生産される絹織物で、多くのたて糸に、太いよこ糸を強く打ち込み、たて糸を浮かせて模様を織り出すのが特徴です。

鎌倉時代、博多商人・満田彌三右衛門みつたやざえもんが、中国から織物の技法を持ち帰り、独自で改良を重ねて誕生した織物が博多織の起源だといわれています。

その後、江戸時代に筑前福岡藩初代藩主・黒田長政が、博多織を幕府への献上品としたためその名が広まり、江戸時代後期には庶民にも普及していきました。

博多帯は厚くしなやかな織物で、一度締めたら緩みにくいという特徴をもっていたことから、武士や力士から着物の帯として愛用されてきました。

絹鳴りと呼ばれる、帯を締めるときにする“キュキュッ”という独特の音も特徴の一つです。

博多織の代表的な柄には、“献上柄”とも呼ばれる、仏具の独鈷とっこ華皿はなざらを模した模様に親子縞と孝行縞を合わせたものがあります。

現在では、ネクタイや財布などの暮らしに身近な製品も作られています。

品名博多織
よみはかたおり
工芸品の分類織物
指定年月日昭和51年(1976年) 6月14日


博多織についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

八女福島仏壇

八女福島仏壇やめふくしまぶつだん」は、福岡県八女市(旧福島町)で作られ続けている仏壇で、九州地域の仏壇製造の源流とされています。

今から約200年前の江戸時代、指物大工の遠渡三作とおわたりさんさくが、おごそかで華やかな仏壇の夢を見たことから仏壇製造を志したのが八女福島仏壇のはじまりとされ、明治時代に産業として発展しました。

八女福島仏壇は全体的に金箔や蒔絵まきえ、漆塗りが施された豪華な仏壇で、土台部分には3段の“福島型”、戸棚付きの“八女型”、引き出し付きの“八媛やひめ型”の3種類があります。

木地・宮殿・金具・彫刻・蒔絵・仕上げの6部門による分業制をとっており、完成までに80余りの工程数があるといわれています。

江戸時代からの伝統的な材料を用い、職人たちが力を合わせてほぼ手作りで仕上げているため、伝統工芸の集大成とも呼べる仏壇です。

品名八女福島仏壇
よみやめふくしまぶつだん
工芸品の分類仏壇・仏具
指定年月日昭和52年(1977年)3月30日


上野焼

上野焼あがのやき」は、福岡県田川郡福智町ふくちまち香春町かわらまちで焼かれている陶器です。

慶長7年(1602年)、豊前小倉藩主の細川忠興ほそかわただおきが、朝鮮人陶工を招いて福智山の麓の上野に窯を開き、その後、藩主が使う格調の高い茶道の器として発展していきました。

上野焼は、茶道具に多い、軽くて柔らかい口当たりを生み出す“薄づくり”が特徴で、色合いやデザインは基本的に釉薬を流して生み出します。

緑色の銅釉どうゆうを使った“緑青ろくしょう流し”を中心に、薄づくりの上品な器に、種類豊富な釉薬の豊かな色彩美が見事に調和した美しい焼き物です。

品名上野焼
よみあがのやき
工芸品の分類陶磁器
指定年月日昭和58年(1983年) 4月27日


八女提灯

八女提灯やめちょうちん」は、主に福岡県八女市中心で作られてきた提灯です。

江戸時代に荒巻文右衛門あらまきぶんえもん場提灯ばちょうちんを売り出したことからはじまり、明治時代、大正時代と進化を続けてきました。

八女提灯は、現在の提灯の原型ともいわれる、1本の竹ひごを螺旋状に巻く“一条螺旋式いちじょうらせんしき”技法で作られます。

灯をともす火袋ひぶくろの部分には、薄い“八女手漉やめてすき和紙”や絹を使うため、中が透けて彩色した花鳥や草木などが幻想的に浮かび上がる優しい明りが印象的です。

八女提灯は種類も多く、仏壇などの前に飾る“盆提灯”のほか、長い筒形の“住吉すみよし”や丸いつり下げ型の“御殿丸ごてんまる”など3000もの種類があります。

品名八女提灯
よみやめちょうちん
工芸品の分類その他の工芸品
指定年月日平成13年(2001年)7月3日